コロナバ禍詰将棋作家のひとり言

一時的に新型コロナウイルスの事はがり書きます。

新作と言えるには

★taka-oさんのツイートと又見てしまった。
漫画(アニメ)に関するツイートを見たかったからなのである。
僕には興味のないツイートなのだが、デパートの飛単騎詰をボツにしなかった疑問に答える記事を書く事にしたのである。

☆僕は発表価値がある作品は何が必要と聞かれれば新作と言える事だと答えるだろう。
新作と言えるには何が必要かそれはオリジナル性だと思っている。
オリジナル性とは手順が同じようでも、表現方法が違うとか成立する理屈か違うとかでもオリジナル性があると思う。

★5月号結果稿の飛単騎詰は後半のと金引き~と寄りと収束は同じである。
収束は飛の単騎詰はパターンが少なく、違う収束でないとダメと言われたら飛の単騎詰は作れない。
と金引き~と金寄りはこれは最初の作品がオリジナルとは僕は思っていない。
誰もがこのパターンを考えるからである。
例えば金頭桂の手筋は最初に作った人がオリジナルとは僕は思わない。
その人が作らなくても誰もが作るからだ。誰もが使う手順にオリジナル性は必要ないと言いたいのである。
と金引き~と金寄りは特殊性がある手順のようで、飛単騎詰では誰もが考える手順なので、金頭桂みたいなもの。これ僕の作品が先だとしてもこの部分は僕のオリジナルではないのである。
何を言いたいのかだが、誰もが作る手順部分は類似性は不問だと言う事である。

☆添川作のこの部分で35歩を取らせるのはオリジナルである。ここを真似していたらと金引き~と金寄りも類似になってしまうと思う。
変な話だが劣化版する事によって類似性を不問になっているのである。
僕の作品の後半の手順は、この部分が後で同じ手順の作品を作る人がいても類似は不問なのである。
単騎詰の特徴で、誰が作ったとしでも同じ手順になる部分の手数が長いだけの事である。

★ここまでは手順の類似が不問な事を書いた。
勿論、これだけだと類似可だけでオリジナル皆無でそれは新作ではない。
でその前にオリジナル手順が付いていれば新作である。その部分に面白さがないなら新作でもつまらないのでボツにするだろう。
僕は前半はオリジナルなので十分新作だと思って発表しているのである。
新作でもつまらなければ、僕は発表しないってのはある。
この作品、新作だとしても面白くないからボツにするところだろうと思われるかも知れない。
飛単騎詰は兎に角、制約がきつい。
添川作もなし、僕の作品もなしで飛の単騎詰を創れと言われて僕の作品レベルを創る人はそんなにいないと思っている。
添川作が素晴らしいので僕の作品が駄作に見えてしまうのである。
僕がこの作品を発表したのはオリジナル性は十分にあり、手順も面白さは十分あると思って発表しているのである。
新作と言えないと評価する人はそれはそれで正当な評価である。
自慢出来る作品ではなかったけど、別に悪い作品だと思っていないから投稿したのである。