コロナバ禍詰将棋作家のひとり言

一時的に新型コロナウイルスの事はがり書きます。

創作支援ソフトの利用価値

【創作支援ソフトの利用価値】
最近、詰将棋創作プログラムについて書き過ぎている。
と言う事で今日も書いてみよう(笑)。

この詰将棋創作ソフトに関する一連の記事は将棋メモにとり上げられているようだ。
前記事に対してはTETSTUさんが意見してくれている。
それを読んで言いたい事がある。
それは創作支援ソフトを欲しいと言っても誰も作ってくれないよ〰だ(笑)。
……しまった!いつものように面白い冗談を言ってシマッタ。
これを読んでTETSTUさんはカンカンだろう。
本当はこの意見を待っていたと言いたかったのである。

色々コンピューターの詰将棋創作プログラムの可能性について書いて来た。
僕は全く是非については考えていない。
プログラム制作の可能性について書いているだけである。
まず探索型であるが、完璧な探索には解図力が必要だが、作品検索は今でも十分可能。
検索で作品を見付けたのが、自分の作品と言えるかと言う論議はあるかも知れないが、この記事はそれは主旨でない。
僕は立派なその人の作品だと思っているが。
この探索型をプログラムにするのは、可能だろうから書いてもしょうがない。

★僕が興味あるのは手順入力→配置作成型である。
これはその気になるなら可能だと思っている。
実際ある作品の手順を知る。そしてそれを図面化する。
これ僕は得意。勿論易しい作品しか出来ない。又、誰でも出来るかも知れない。
要は考え方のコツがあるので、それをコンピューターに教えたら出来る。
プログラム化が可能と言っているのは根拠があって言っているのである。
問題はどの程度迄可能なのかである。
将棋世界の作品くらい迄可能と思う。
僕はこのソフトがあれば、皆喜ぶだろうと書いてしましたが、皆ではなかったようだ。
そもそも、このソフトがあれば一番困るのは僕である。
何故なら、このソフトが出来たら僕の創作技術が低いのがバレてしまうからである(笑)。
これは冗談にしてもらうとして、僕は手順を考えるより、その手順をどうやって成立させるか考えるのが好きなのである。
このソフトが出来たら僕の楽しみがなくなってしまう。
でもこのソフトを望んでいる。
TETSTUさんは面白い手順を考えるのが好きでも、それを成立させる配置を考えるのは苦手だから、このソフトがあるなら大歓迎らしい。
これは嬉しい意見である。
こう思う人がいると思って書いた記事だからである。

僕は詰将棋の作品は作者のものと言う意識が非常に低い。
全くないと言って良い。
じゃ誰のものか?それは解答者(鑑賞者)のものである。
作品は発表されれば自分のものではないと思っている。
誰しもどこに引用されても構わない。
最初の出典元と作者名の明記が必須だが、引用は勝手であり、引用されればされる程価値があると考えている。
そんなんだから良い作品が沢山生まれる事が、詰将棋の発展と考えていて、コンピューターの手助けがあったかなんかどうでも良いと思っているのである。
ま、そう言う考えなので、創作支援ソフトがあれば良い作品が沢山生まれる事になり大歓迎なのである。
勿論、創作支援ソフトが完璧になると、詰将棋の楽しさは失われてしまう。
能力の程度がどこまで許されるか難しい問題である。
だけどこれは詰将棋だけの問題ではない。
人間社会が将来抱える問題である。
機械化やコンピューター化が行き過ぎると人間がいらなくなってしまう。働くところがなくてどうやって生きて行くのか。
いつかは機械やコンピューターが良くなり過ぎて大問題なるかも知れない。
詰将棋創作支援ソフトもそんな危惧を持たないといけないのかも知れないが、僕はそれでも創作支援ソフトはあった方が良いと思っている。

★最後に手順は自分で考えたが、配置はコンピューターが考えた作品は自分の作品と言えるかだが、僕は立派な自分の作品だと思う。
これが両方人間だったら合作になるところだろう。
僕の考えは違う。
Aが手順を考えて、Bが配置を考えたとする。
僕は作者はAだけだと思っている。

それからこのソフトがあれば手順入力→配置作成をワンタッチで出来て作品が完成すると思ったら大間違いである。
コンピューターが最少配置を検索するとして、手順に無理があれば、ケッタイな図が出て来る。
その無理な部分がどこか見付けて、削除や変更、又は手順を加えるとかしないと作品は完成しない。
結局はこのソフトがあってもセンスがなくては良い作品にならないのだ。
柿木将棋は実力がある人がより有利になるソフトと思っているが、手順入力配置作成ソフトはセンスがある人がより有利になるソフトだと思っている。