コロナバ禍詰将棋作家のひとり言

一時的に新型コロナウイルスの事はがり書きます。

詰将棋自動創作ソフト

詰パラ2017・1月号のちえのわ雑文集は久保紀貴氏のコンピューターの自動創作ソフトが開発されたら未来はどうなるかと言うものである。
簡単に言うとそうなれば詰将棋作家の楽しみが奪われてしまう。そのようなソフトは開発されない方が詰将棋界のためだと言いたいようだ。

★実際に詰将棋自動創作ソフトが開発されれば、久保氏言っている事になるだろう。
だが、僕は久保氏とは正反対の意見である。
僕は詰将棋自動創作ソフトは開発された方が良いと思っている。
理由は簡単。もっと良い作品をみたいからだ。
コンピューター自動創作ソフトが開発されたら、久保氏の言う通り今までの詰将棋作家の楽しみは奪われてしまう。
でも新しい楽しみが生まれるのである。
そもそも人材とお金をかけないと大したものは出来ないのだが、もし人材とお金をかけたとしたら、どんな自動創作ソフトが出来て、どうなるか書いてみたい。

☆まず自動創作ソフトは三つのタイプが可能だと思う。
①条件入力全探索型。
これは今月のデパートの作品がそれに当たる。
配置なり入力して、それで全検索して完全作を全部拾い出す。
それは詰将棋になってないものがほとんどだが、コンピューターに詰将棋になり得ているものを抽出させる事は可能だ。
人間はその中から特に良いもの探す事になる。
そんなのが自分の作品かだが、条件入力があってこそなので自分の作品だと言って良いと思う。
そしてこの創作が面白いかだが、これだと面白くない。
僕は根本的にこのタイプのソフトでは良い作品はほとんど出来ないと思っている。
だがこのソフトは利用の仕方で凄く良いものが出来るようになる。
例えばデパート⑤の作品。僕は序盤8手には魅力を感じない。少なく共、他の手順に変える事は可能である。
しかし、72馬以下は完成された手順だ。
ここから別の逆算をすればもっと良い作品になり得るのである。
この作品に限らず、このソフトで出てくる作品には部分的に良いとか、部分的に非常に悪いとか加工の余地があるものが大半なのだ。
言わばこのソフトで創れる作品は宝石の原石でしかない。
人間が加工して輝くものにする。この作業が人間に残されているのである。
宝石の原石を探す事だけが楽しいなら、その人は楽しみが失われてしまうが、普通磨いて輝ける宝石が出来たら楽しいはずだ。

②逆算型。
これはある収束素材を入力すれば、コンピューターが勝手に逆算してくれると言うもの。
逆算可能な手順が沢山あれば、方針を入力すれば自動検索してくれる。
それか2手とか4手とか細かく区切り、自分で見込みのありそうな形を選択しながら進んで行く方法を使う。
両方を組み合わせるとすると、これ自分で創っているのと同じである。
自動創作ソフトではなく、創作支援ソフトになるだろう。
このソフトなら楽しみを奪われる事はない。
まあ、苦労して創る楽しみはなくなるが。
これが開発されると作家の実力差はほとんどなくなって来るだろう。

③手順入力型。
手順を入力すればそれが成立する図面を創ってくれる。
一つの手順として図面としては何万もあるが、少ない使用駒数から自動選択する事になるだろう。
夢のようなソフトだ。
だが、こんなのが開発されたら、久保さんの言う通り、創作する楽しみは完全に奪われてしまう。
……とは思わない。
詰将棋は手順構成が良くないと酷い形にしかならない場合がある。
この手順構成を見直す作業は残るのだ。
詰将棋は何かちょっと変えるだけで、急に完成度が高くなったりする。
僕はそれが詰将棋創作の一番の醍醐味だと思っているくらいだ。
勿論、完成された手順ならコンピューターが最初から完成品を出してはくれるが、それは手順入力をする作家のセンスである。

☆コンピューターで自動創作が可能になっても、それは宝石の原石でしかなく、それを磨いて宝石にするのは人間だと言う事だ。
原石探しだけなら楽しみはなくなるが、原石がゴロゴロ見つかるのだから、より多くの人が良い作品を創る事が可能になるのである。

★自動創作ソフトが開発されたなら良い事ばかりなのだ。
……とは思ってはいない。
僕は久保さんとは違う事を危惧している。
まず、発表先が足らなくなる。
良い作品を創る人が増えるのだから当たり前である。
発表先(インターネットの乱立)は増やしたとしても、解答者が大変だ。
供給過多、需要不足は現在もこの傾向があるのにさらに酷くなる。

☆それから改作競争が盛んになるだろう。
詰将棋作家総三輪化になるのである。
やっぱり詰将棋界は久保さんの言う通り絶望なのである(笑)。
僕は改作が盛んになる事が詰将棋界の理想と思っている。
だが、本当にそうなったら、何らかのトラブルが起きるだろうと予想している。
それはソフトが悪いのではなく、人間が悪いのだが。
それを乗り超えられたらさらに詰将棋作家として楽しい世界になると思っているのである。