コロナバ禍詰将棋作家のひとり言

一時的に新型コロナウイルスの事はがり書きます。

コンピョーターによる詰将棋創作TETSUさん編

★僕は今日はやらないけない事があると言うのにブログの更新をする事にした。

☆「おもちゃ箱」を覗いてみた。
どこをクリックしたかよく覚えていないが、TETSUさんが、昨日コンピョーターの詰将棋創作に警鐘を鳴らす人と話をしたとある。
これは鈴川氏の昨日のブログ記事(my cube)を見れば誰か明らかである。
穏やかな話だったのか、疑問があるが(笑)。

★TETSUさんの記事では、吉村達也氏がコンピューターの詰将棋創作に関する恐ろしい未来を予測している随筆が見れるようになっている。
20年前の記事だと思うが、凄い予知能力である。
さらに今、ご存命ならこれから何10年後かは、コンピョーターの詰将棋創作の開発が進み、人間が詰将棋を創れなくなると予想するだろう。
創れなくなるとは、苦労して創くってもコンピューターが簡単に創ってしまうと言う事だ。
それで詰将棋創作の趣味は終わりとなる。
いかにもごもっともである。
だけど、僕の予想は違う。
一言で言えば、どんなにコンピューターの詰将棋創作が開発されようと、詰将棋創作の終焉などないと予測している。
根拠は詰将棋の作品は無限に出来るものだからである。

☆まずは現実の話をしよう。
現在のコンピューターの詰将棋の能力で、全検探索創作は可能である。
勿論、現在のコンピューターの解図能力では漏らさず検索は出来ない。
たが易しい作品をピックアップする事は出来る。
僕は難しいだけの作品は良い詰将棋とは思ってないのでむしろ好都合である。
この創作法はコンピューターにやって欲しいと思っている。
これコンピューターがやれば、駒を適当に置いて探索しながら創るのが好きと言う人の楽しみを奪ってまう。
なので、コンピューターに全検探索をやらすなとなるだろう。
僕の考えは違う。
この創作法は僕は「ドブ掃除」と呼んでいる。
詰将棋作家でこの創作法をしている人は短命である。
何故ならドブ掃除と同じくらい面白くないからである。
詰将棋の創作を初めた頃は皆結構やると思う。
他に創り方を知らないからである。
僕もそうだった。
ドブ掃除しか出来ないなら、嫌になって詰将棋創作を止めてしまう。
ドブ掃除以外の創り方を会得した人が、詰将棋創作を続けて行くのである。
で、そんなドブ掃除はコンピューターにやらせた方が良いと思っている。
そもそも、コンピューターに全検探索をやらすにしても何らかの条件を付けない事には無限探索になってしまう。
その条件の付け方で上手い下手が問われるので、たとえコンピューターに全検探索で作らせても、出来た作品はその人の作品である。
僕がドブ掃除とバカにしている創作法は全検探索であり、形から手順を捻り出す創作法は最初の形と言うか条件を選ぶのがセンスであり、これでコンピューター開発が進んだとしても、十分対抗出来るので人間のやる楽しみは残るのである。

★そして、遠い未来には手順入力型創作が可能なると僕は予測している。
そうなれば多くの作家が死ぬかも知らない。
そして、死ぬのは能力のない作家である。
これ、僕には理想である。
現在詰将棋界は作家が多いアンバランスな世界である。
作家が減るのは良い事である。
その作家はどうするか。鑑賞する方に回れば良い。
コンピューターが素晴らしい作品を沢山創るなら、鑑賞する楽しみが増えるではないか。
僕は良い作品を沢山創りたいと思っているが、良い作品を沢山見たいとも思っている。
詰将棋作家で鑑賞する楽しみがない作家は、詰将棋を創る資格はないと思っている。

☆結論だが、コンピューターによる詰将棋創作の開発は詰将棋界に良い作用をもたらすと僕は思っている。
コンピューター開発に警笛を鳴らす人の言っている事は概ね正しい。
負の面は必ず起きる。
だがそれは負を負としか見ていない。
むしろ良い方に展開して行く。
だって良い作品が沢山出来る事が悪い事のはずがないじゃん。
なので、コンピューターによる詰将棋創作の開発を是非して欲しいと僕は思っているのである。