コロナバ禍詰将棋作家のひとり言

一時的に新型コロナウイルスの事はがり書きます。

看寿賞の選考基準

看寿賞は何を選考基準とするか。
僕は次の3つだと思う。

①特殊な事をしている。
②手順が美しい。
③形が美しい。

①の特殊な事とは誰もやらない事と言う意味ではなく、何かしら狙いがあれば良い。それが人が凄いと思えば特殊な事になる。
②美しさは人それぞれ感じ方が違うので難しいが、良いと心に好いと感じる手順。
③形はこれだけでは候補にならないので①②の掛け算となる。

☆でこのどれが重要なのかは、それは選考委員が論議するものである。
どれか突出した作品を選ぶのもありだし、総合点で選ぶのも良しである。

看寿賞はその年の最優秀作を選ぶものだろう。
今回、僕が選考基準と書いたものはわざわざ書く事でもない。分り切った事である。
実はこれからが本題。
僕が詰将棋を評価する基準でこれより重視している事があるのである。
それは詰上りが美しい事である。
僕の詰上りが美しい基準は簡単。詰方の駒が効率良く働いている事である。
これ今書いた看寿賞選考基準より重要と思っている。
あっ、重要との言葉は正確ではない。
作品である事の絶対的条件なのである。
実は絶対的条件にしなくても、詰将棋作家はほとんどこの創り方をしている。
ただ賞の選考基準になっていないってだけ。

看寿賞はどうか。
十分選考基準に入っているし、その作品も受賞している。
否、むしろ3基準より適合作が多いかも知れない。
時々しかなくても創る時の絶対的条件と思っているからしょっちゅうあるように思えてしまう。
今年は鈴川作がそうだが、この作品は看寿賞に相応しいと思っている。
過去作品で代表的なのは「ミクロコスモス」でこの作品は僕からすると駄作でしかない。
でもこれが看寿賞を受賞しなかったら誰も看寿賞は欲しいと思わなくなるだろう。
看寿賞の代表作と言っても良い。
この基準で行けば長編は煙詰以外はほとんど選考外になってしまう。
僕の絶対的条件は看寿賞選考基準にはならないし、
される事もない。
何が言いたいのか、看寿賞は欲しいとは思わない賞って事である。
しかし、賞金は欲しいと思っているのである(笑)。

看寿賞選考会議の記事を読んで②

看寿賞選考会議の記事を読んで②

次は若島作。
若島さんは詰将棋界への貢献度が極めて高い人である。
ほとんどが良い影響だが悪い事がないではない。
どう悪いかだが、解答者の鑑賞眼を下げてしまったところが一つある。
それは「スイッチバック」についてである。
チェスからの応用であるが、プロブレムはどう面白いかは知らない。
詰将棋スイッチバックをするとプロブレムより面白いかどうかは分からないので、詰将棋に限って言おう。
結論から言うと、詰将棋スイッチバックはこの言葉がなくても面白い。
用語があればさらに面白くなる。
……本来なら。これが問題。
これは若島さんの責任ではないが、スイッチバックになっていればそれだけで面白いと思っている解答者は間違い。
詰将棋は行って帰って来る現象は面白い事ではないのである。
この現象だけで面白いと思う人がいる。鑑賞眼を下げている分けである。
スイッチバックすると言う事は詰方玉方に関わらず元の位置の方が詰ますのに都合が良い分けである。
それが一旦動かしておく。何故だ。それが面白いのである。
その理由が面白いとか、無意味感があるとか、手間がかかるとかの工夫次第でスイッチバックが面白くなるのである。
詰将棋の場合、動いた駒が元に戻る現象自体は何の価値もない。
ただ動いて元に戻るだけでもスイッチバックと褒める鑑賞眼のない解答者がいるのは、若島さんがスイッチバックの言葉を広めたからなのは確かである。

で、今回の「ダブルフェニクッス」であるがチェスと違いはどうか。
受賞の言葉にあるが、チェスはフェニクッスはあり得ない。
打てないからだが、ポーンが成って復活したように見せる。いかさまじゃんかヨー。だから面白いけど。
詰将棋の場合初めから持駒に持っていたらフェニクッスの価値はない。
合駒で返却してもらって同じ場所に打つ。
これ桂なら比較的に簡単に出来る気がする。
これも何でもダブルフェニクッスになっていれば面白いと解答者が思うようになっては困るなと思ってしまう。

受賞作は角で13と63でこんなとこの駒がとは感じる。
理屈の面白さは求めるられないだろう。
合駒を入手する内に状況が変わってしまうからである。
これ僕が思うに複雑な手順により復活するより、復活する迄の手順が簡明なほど面白いと思うがどうだろう。
それとその位置からの意外性がなりより重要である。

若島作であるが、流石なのは捨ててから角の入手が最短手数で、打つ事の復活には理論上の最短手数ではないと思うが、スムーズな手順では最短な感じはある。
最後のまとめ方はどうか。うーんである。
一個は捨て一個は動く。ダブルフェニクッスした駒が違う最期はテーマ的に失格だと思う。
両方元の位置にいるべきかと。
詰将棋的には両方捨てて欲しい。
若島さんだからそこまで望んでも良いだろう。
そんな風に思っていて、僕には習作にしか見えなかった。
それで受賞とは唖然としてしまったのである。
そこでだが僕が今望んでいる事は誰かもっと鮮やかなダブルフェニクッスを創り、受賞作の価値が下がる事である(笑)。

☆中編で候補に残った作品でもう一つは広瀬 稔作がある。
この作品は僕が半期賞予想の記事で強烈プッシュした作品である。
抜けて良い作品だとの事を書いた気がする。
それが2次投票で3票も入ったのは嬉しい。
僕が誰かの代わりに選考委員に入っていたら受賞だった。
ところで67歩は不要駒のようとある。
僕はこの作品の改良を試みたのだが、絶対必要駒に思っていた。
改良のポイントは45歩を打ちにする事である。
これよりさらに形が悪くなっても、打つ方が10倍良い。
そのためにどうするかであるが、23銀の25銀をまず省く。
他にどうするか色々やってみた。
全く巧くいかないのだが、可能性を求める段階なのに、どうやっても67角、同銀の筋が余詰んだように思う。
この時点でどうしても置かないといけないと思い込んでいる。
僕の推測だが45歩打ちは広瀬さんも考えたのだと思う。46歩と25銀は妥協の産物で、67歩は置かないとどうしようもない駒だったので、不要になっていたのをウッカリしたのだと推測しているがどうだろう。
不要かどうかの確認してないが、不要駒だったり受賞に1票足りない残念さより、いまだに45歩打ちに出来ない方が残念な僕なのである。

看寿賞選考会議の記事を読んで①

看寿賞選考会議の記事を読んでの感想である。
率直な感想であるが今年は色々なタイプの作品が候補に上がり、内容のある討議だったと評価したい。
そしとこれはありがたい。内容が良いと僕はケチを付けたくなる性格なのである。
ダメなものにケチを付けても面白くもない。
ケチは良い時に付けないとネタにはならないのである。
さて、今年良かったのは、実際に解いている竹中氏の意見は参考になり、堀内氏の論評は的確で、高坂氏の視野の広さが良い討議になっていると思う。


☆まず詰将棋を評価する価値観は人により真逆に近い違いがある。
これみんな同じならコンピューターに征服されてしまう。人間はコンピューターより良い作品を創る事はあり得ない事になる。
だが詰将棋は人それぞれ価値観の違いが大きく、良いものを数値化出来ないので、人間の詰将棋が死ぬ事はないと思う。

★短編だが、表紙の園城寺 怜作が最終候補に残ったのは興味深い。
僕は見た瞬間14桂~12金と思ったのだが、次は23金~34金しかなく、手にならんじゃんと思って読みを打ち切ってしまった。
苦戦した人が多く標準的手順なのに最終候補に残った要因である。
標準的手順と書いたが、良い意味として書いていて、詰将棋らしい手順と言う意味で、詰将棋は好い感じのものが沢山創れる。それが詰将棋の素晴らしいところなのである。
来年もこのタイプの作品が候補に残って欲しいものである。
この作品に最終投票に投票するかどうかは堀内氏の論評は的確である。

それから詰パラホームページののぞえり作は候補に上がってないが、知らないのだろう。
仮に知っていても無視で良い。
発表記事すら見れない作品を取り上げる必要はないのである。

☆次に中編。
棋士の宴の船江作は絶品。
最終選考に残り決定打不足で受賞を逃すタイプの作品かと思ったら、最終選考に残らなかったのは残念。

解答選手権の相馬慎一作に対する竹中氏と堀内氏のやり取りは有意義である。
解答王の竹中氏が難易度だけを重視するのは疑問と言えば、堀内氏は難易度の質の違いを説く。
二人の言わんとする事は分かる。
まっつぁんこに対する批判である(笑)。
まっつぁんこさんは毎年ブログで年間最優秀作にまっつぁんこ賞を授賞していて、それは毎年その年のただただ一番難しかっただけの作品で批判したい気持ちは良く分かるのである(笑)。
これは冗談でつまりネタ……なんだが書いたは良いが、まっつぁんこさんにこのブログを読まれないかビクビクしているのである。

★脱線したが、堀内氏は難解性の2つあり、「読む手が多いだけ」「作者が仕組んだ謎解き」があり前者は評価出来ないが後者は高く評価出来るとの論評。
流石に良い事言う。
解答選手権の相馬慎一作はどうか?
解いた人がほとんどいないほど難解になったのは、鍵の手は37飛だが普通に追うと47に駒があるので、ここに鍵がある事を見せてないのがまず巧妙で、しかも47に駒が残らない手順も見えにくくしているのは相馬さんの腕である。
堀内氏の言う通り謎解きパズルとして高級品である。
ここまでは意見は一緒。
でも根本的なものは真逆である。
僕が詰将棋に求めているのは手順の美しさや気持ち良さである。
詰将棋は謎解きパズルの面白さはパズルの中では低いと思っている。
面白さの最高値が元々低い。
詰将棋は手順の美しさとか気持ち良さは無限大。
良い詰将棋は解けた後にもう一度並べたら、さらに気持ち良くなる。
詰将棋は鑑賞出来て良い詰将棋である。
謎解きパズルの最高点は100点満点として、鑑賞ものとしての最高点はいくつ?
1000点はある。1万点だって10万点だって構わない。青天井なのである。
詰将棋の価値を難易度に求めるのは小さ過ぎる。
これが僕の持論である。
相馬慎一作は謎解きパズルとしてはかなり良いものがある。
でも僕にはどんなに頑張っても100点しかない。
なので前記事にも書いたが、この作品はゴミにしか見えないのである(笑)。

☆最初に書いたが、人それぞれ価値観は違う。
謎解きパズルとして価値を高く見る人もいなくてはいけない。
でも簡単に同調するのはどうかな。
僕が自信を持って言いたい事は詰将棋は謎解きパズルの最高値より鑑賞品としての最高値の方がハッキリと高いって事。
詰将棋は永遠に鑑賞もの価値を保つだろう。
コンピューター開発されてもである。
詰将棋は謎解きパズルにあらず。
これが僕の持論。

★解答選手権の作品にケチを付けたが、作家の相馬慎一さんは解答選手権のような創り方しか出来ない作家ではないと認識している。
解答選手権にはこのような作品が必要だから創る。
何故必要が?
実は藤井プロの連覇は相馬慎一さんの腕にかかっているのである。
藤井チャンピオンはいつも必ず誤記をする。
他に全問正解者がいたら連覇は途絶えるのである。
つまり、藤井チャンピオンの連覇には相馬さんが藤井チャンピオンにしか解けない問題を創る義務があるのである。
受賞の言葉を見たら期待して良いだろう。

平成30年年間最優秀作

【平成30年年間最優秀作】

看寿賞に関する記事を書いて気付いてしまった事がある。
僕は詰将棋マニアが好きな作品は好きでないのである。
詰将棋初心者が好きな作品が好きな作品である。
そこで気が付いた事は僕は詰将棋マニアではなく、詰将棋初心者だったと言う事でなのである(笑)。

☆これから書くのは詰将棋初心者が選ぶ平成30年度の最優秀作である。

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【短編】
ついこないだまで僕の短編の去年の最優秀作品は受賞作の鈴川作であった。
しかし、それはあるツイートを見て間違いだったのに気が付いたのである。
写真の図は詰パラホームページに発表されたのぞえり作である。
僕は去年の短編最優秀作品はこの作品だと思う。
この作品、僕はリアルタイムで解いていた。
素晴らしい作品だと思ったのと同時に何でホームページに発表したのかと思った。
中学校なら半期賞候補になっているはずだと。
で、この作品が看寿賞受賞するのはどうかと言うと、この作品に授賞するのはよくないと思っている。
理由はただ一つ。
発表の記事が見れないからである。
発表の記事を見れないような作品は候補から除外すべきである。
僕が書いているのは賞ではないので、この作品を最優秀作としたい。

【中編】
一言言うなら看寿賞受賞作の2作は何の感動もない。
解いてないからだと言われるなら、僕は詰将棋初心者なので解ける分けがない。
手順を見て感動するかだが何の感動もない。
中編で感動した作品はスマホ詰パラNo.11901馬方四季作である。
これは素晴らしい作品だと感動したのである。
作者本人は原理がオリジナルじゃないなら高く評価してないのだろうけど、僕はオリジナルには高い評価をするとしても、この作品は原理は二番煎じだからつまらないとは全く感じない。
やってる事もオリジナルは飛の下利きで、この作品は横利きなんで新鮮味も十分であり、同じ作者の去年の発表作では唯一詰将棋初心者が見て良い作品である。
この作品が僕が思う去年の最優秀作品である。

ついでに若島作であるが若島さんの去年の作品で良いと思うのは将棋世界巻頭の1月号の作品である。
看寿賞受賞だと軽過ぎるし、感動するタイプの作品ではないが、惚れ惚れする作品である。
将棋世界巻頭作なら7月号は作品は名作だが、初心者が良いなと思うのは1月号の方が上だと思う。
僕は勿論詰将棋初心者なので1月号の作品がダントツに好きな作品である。

☆僕は良い詰将棋は心を揺さぶるものがあると思っている。
相馬慎一さんのスマホ詰パラの作品と若島さんの将棋世界巻頭作(1月号)の作品を素晴らしいと感じているので、僕は看寿賞中編受賞作はゴミにしか見えないのである(笑)。

看寿賞受賞作について【長編賞】

看寿賞受賞作について【長編賞】


★長編賞は山路大輔作の煙詰であった。
この作品は怪物的な作品と思う。
僕は詰上り至上主義なので煙詰崇拝者である。
でも僕はこの作品は煙詰としては余り好きな作品ではない。
僕は煙詰には捌きの美しさを求めていて、合駒が多くある作品特有の部分的に捌きが汚ない感じがあるからである。
煙詰の中では特別に好きな作品ではないのであるが、作品としては怪物級の作品でこれが看寿賞を受賞しなかったらおかしい。これぞ看寿賞と言う作品である。

☆ところで僕が去年長編で一番感心したのはやさ院発表の田島作である。
あの作品はやさ院ではないだろうとは思う。
でもメカニックは実に簡明である。
ポイントはいくつもあるので簡単ではないが、理屈が簡明で僕は田島さんの作品で最高傑作だと思っている。
収束をもうちょっと何とかしてくれたらの話だか。

看寿賞受賞作について【中編賞】

看寿賞受賞作について【中編賞】

看寿賞中編賞は若島 正作と相馬慎一作であった。
去年はもっと良い作品があった。
つまり不作だから複数受賞である。
受賞作はマニアックな作品で看寿賞らしいと言えよう。

☆話は変わるが、将棋の強豪には詰将棋嫌いな人は沢山いる。
何で嫌いになるのか?
それは詰将棋初心者だからである。
自分は将棋が強いのに、詰将棋は解けない。
将棋が弱いなら詰将棋が解けなくても苦にはならないはずである。
なまじ将棋が強いのに、同じと思っている詰将棋が初心者のように解けないなら嫌いになって当たり前である。
詰将棋嫌いの将棋の強豪は勘違いしている。
詰将棋は将棋の一部だと。
本当は詰将棋と将棋は別物なのに。
つまり詰将棋嫌いの将棋強豪は詰将棋初心者なのである。
ただ別物とは言え、将棋の力は詰将棋を解くのに有利である。
詰将棋初心者だと思い、詰将棋を勉強したら直ぐに詰将棋は解けるようになり好きになるのに。

★何でこんな話をはさんだか。
今回、受賞作の若島作と相馬慎一作を将棋強豪の詰将棋初心者に見せてみたい作である。
全く良いとら思わないだろう。
それどころか詰将棋がもっと嫌いになるだろう。
僕はどうか。
嫌いな作品である。
何故か。僕は詰将棋初心者だからなのである(笑)。

看寿賞受賞作について【短編賞】

看寿賞受賞作について【短編賞】

★今年の看寿賞短編賞は鈴川優希作と有吉弘敏作だが、予想はこの2作の一騎討ちであった。
予想が2作しかないので不作である。
前記事に書いた不作だから複数受賞になったのである。
まあ、この2作は甲乙付け難いので2作受賞で良かったとも言える。
僕にどっちか一つに選べと言われたら鈴川作である。
何故鈴川作か。それは、これからこの作品をけなそうと思っているからなのである(笑)。

☆まず断っておくが僕が選考委員なら鈴川作に投票している。
ただ僕の作品なら、こんなもの詰将棋にあらずと捨てている図である。
僕が詰将棋である条件は詰上りにおいて詰方の駒が効率良く働いている事である。
詰将棋である事の条件はルール上の事は別として、僕はこれだけである。
形が悪い=結構。手順がつまらない=結構。
それも詰将棋である。

☆鈴川作は詰上りに27角が遊ぶ(詰上り不要駒)。
こんなものは詰将棋じゃない。
僕が創ったらこうなる。
つまり、この図はボツになるのである。
……なんて言うのは嘘である。
創作途中であり得ない図として考えもしないのである。
何が言いたいのか。
それはよくこんなものを創ったなって事なのである(笑)。