コロナバ禍詰将棋作家のひとり言

一時的に新型コロナウイルスの事はがり書きます。

看寿賞選考会議の記事を読んで②

看寿賞選考会議の記事を読んで②

次は若島作。
若島さんは詰将棋界への貢献度が極めて高い人である。
ほとんどが良い影響だが悪い事がないではない。
どう悪いかだが、解答者の鑑賞眼を下げてしまったところが一つある。
それは「スイッチバック」についてである。
チェスからの応用であるが、プロブレムはどう面白いかは知らない。
詰将棋スイッチバックをするとプロブレムより面白いかどうかは分からないので、詰将棋に限って言おう。
結論から言うと、詰将棋スイッチバックはこの言葉がなくても面白い。
用語があればさらに面白くなる。
……本来なら。これが問題。
これは若島さんの責任ではないが、スイッチバックになっていればそれだけで面白いと思っている解答者は間違い。
詰将棋は行って帰って来る現象は面白い事ではないのである。
この現象だけで面白いと思う人がいる。鑑賞眼を下げている分けである。
スイッチバックすると言う事は詰方玉方に関わらず元の位置の方が詰ますのに都合が良い分けである。
それが一旦動かしておく。何故だ。それが面白いのである。
その理由が面白いとか、無意味感があるとか、手間がかかるとかの工夫次第でスイッチバックが面白くなるのである。
詰将棋の場合、動いた駒が元に戻る現象自体は何の価値もない。
ただ動いて元に戻るだけでもスイッチバックと褒める鑑賞眼のない解答者がいるのは、若島さんがスイッチバックの言葉を広めたからなのは確かである。

で、今回の「ダブルフェニクッス」であるがチェスと違いはどうか。
受賞の言葉にあるが、チェスはフェニクッスはあり得ない。
打てないからだが、ポーンが成って復活したように見せる。いかさまじゃんかヨー。だから面白いけど。
詰将棋の場合初めから持駒に持っていたらフェニクッスの価値はない。
合駒で返却してもらって同じ場所に打つ。
これ桂なら比較的に簡単に出来る気がする。
これも何でもダブルフェニクッスになっていれば面白いと解答者が思うようになっては困るなと思ってしまう。

受賞作は角で13と63でこんなとこの駒がとは感じる。
理屈の面白さは求めるられないだろう。
合駒を入手する内に状況が変わってしまうからである。
これ僕が思うに複雑な手順により復活するより、復活する迄の手順が簡明なほど面白いと思うがどうだろう。
それとその位置からの意外性がなりより重要である。

若島作であるが、流石なのは捨ててから角の入手が最短手数で、打つ事の復活には理論上の最短手数ではないと思うが、スムーズな手順では最短な感じはある。
最後のまとめ方はどうか。うーんである。
一個は捨て一個は動く。ダブルフェニクッスした駒が違う最期はテーマ的に失格だと思う。
両方元の位置にいるべきかと。
詰将棋的には両方捨てて欲しい。
若島さんだからそこまで望んでも良いだろう。
そんな風に思っていて、僕には習作にしか見えなかった。
それで受賞とは唖然としてしまったのである。
そこでだが僕が今望んでいる事は誰かもっと鮮やかなダブルフェニクッスを創り、受賞作の価値が下がる事である(笑)。

☆中編で候補に残った作品でもう一つは広瀬 稔作がある。
この作品は僕が半期賞予想の記事で強烈プッシュした作品である。
抜けて良い作品だとの事を書いた気がする。
それが2次投票で3票も入ったのは嬉しい。
僕が誰かの代わりに選考委員に入っていたら受賞だった。
ところで67歩は不要駒のようとある。
僕はこの作品の改良を試みたのだが、絶対必要駒に思っていた。
改良のポイントは45歩を打ちにする事である。
これよりさらに形が悪くなっても、打つ方が10倍良い。
そのためにどうするかであるが、23銀の25銀をまず省く。
他にどうするか色々やってみた。
全く巧くいかないのだが、可能性を求める段階なのに、どうやっても67角、同銀の筋が余詰んだように思う。
この時点でどうしても置かないといけないと思い込んでいる。
僕の推測だが45歩打ちは広瀬さんも考えたのだと思う。46歩と25銀は妥協の産物で、67歩は置かないとどうしようもない駒だったので、不要になっていたのをウッカリしたのだと推測しているがどうだろう。
不要かどうかの確認してないが、不要駒だったり受賞に1票足りない残念さより、いまだに45歩打ちに出来ない方が残念な僕なのである。