駒場和男氏
☆駒場和男氏が亡くなられました。
来月号の詰パラに追憶文が載るだろうが、誰が書くのだろう。
僕は駒場さんの作品はリアルタイムで解いた事はない。
そもそも解けない僕は、長編は鑑賞するだけなのだが、リアルタイムで鑑賞出来たのは「三十六人斬り」であった。
この作品の当時の感想は、皆がキズとしているところは僕は完全な余詰だと思った事である。
今はと言うと、やはり完全な不完全作だと思う。
この作品は今はどう扱われているのだろうか?
★駒場氏の書かれた文章はブログ「借り猫かも」さんが「詰将棋トライアスロン」に書かれたものを掲載していて、それを興味深く読ませて頂いた。
そこに書かれていたと思うが、修正の三原則を言われていた。
これには異論がある。
駒場氏に異論があるんじゃない。
駒場氏は本当はこう思ってないのに、氏が言った事で皆信じてしまっている事に異論があるのである。
☆修正の三原則とは、作意・玉位置を変えてはいけないような事である。
僕には論外の理論なので良く覚えていない。
意とする事は作者尊重である。
★ここで修正案が2例あるとする。
①作意に少し変革を加えた図。作者の心は折るが良くなる。
②作意不変で配置のみの修正。良くはならない図。
①は作品尊重派。②は作者尊重派と呼ぶ事にしよう。
人それぞれ尊重するものが違うから、どちらが良いかは意見が分かれるだろう。
②が多数派かも知れない。
僕はどちらか分かるだろうか?
このブログを読んでいたら確信するものがあるだろう。
①作品尊重派に決まっている。
さて、駒場氏はどちらか?
これは僕は確信するものがある。①作品尊重派に決まっている。
作品尊重派が修正する時に、作意や玉位置不変など考えるはずはない。
駒場氏は修正三原則を唱え出したのには、何か作者を尊重しなくてはならない出来事があったためだと思う。
☆修正三原則は作者尊重こそ尊いと考えるのはよろしい。
だが、駒場氏が言っているから信じるのは止めて欲しい。
駒場氏は作品が良くなる事が何より大事に考える人。
本心でない事を言って、それを信じられては、死んでも浮かばれないのである。