コロナバ禍詰将棋作家のひとり言

一時的に新型コロナウイルスの事はがり書きます。

詰パラ2018・6月号(結果稿)小学校

詰パラ2018・6月号(結果稿)小学校】

★今日は連続投稿になっている。
気が向いた時には沢山書いて、気が向かないと間が空く事になるかもよ。

☆今月では小学校12田中孝海作が一番好きだな。
さて順位は?……最下位じゃんかヨー(笑)。
田中氏らしくない作品だが、小学校向きでない作品でもある。
良い作品だけど。

★小学校15海老原辰夫作。
竹中健一氏の短評で「……。心理的妙手と言えるか!?」とあるが、これ心理的妙手になる訳ないじゃん。
普通の妙手である。心理的に指し難いのではなく、妙手だから指し難いのである。
この手は良いが、場外でまとめている感があるので作品としてはどうかな。
解く楽しみは十分にあるから駄作ではないけど。

繰り返し趣向

★今月の詰パラ6月号の表紙は青木裕一作であるが、表紙の言葉は趣向作の繰り返し手順の回数についてである。

☆僕は機械的に繰り返す趣向はそんなに好きじゃない。
理由は2回繰り返すのは面白いと思うが、全く同じ理由で3回目・4回目には意味あるのかと思ってしまうからである。
どうせ同じ事を何故やるのか。
違う理由でなら回数は多ければ多いほど良いと思うのだが。
で、僕が作者ならどうか。
そんなもの最大回数にするに決まっているのである。

★青木氏は配置面の理由で回数をとどめるのもありの考え方を書いているが、これは僕の考えは真逆である。
繰り返し回数を増やすと極端に配置が悪くなるならむしろ増やすべきと思う。
極端に配置が悪くなるのは繰り返すための障害があるからである。
同じ原理で繰り返すにしても障害があるなら(同じ原理が出来ないならそれはノー文句で繰り返すべき)、その障害をどう乗り越えているか価値があるからである。
逆に配置に趣向以外に余分な駒を加えなくて良いなら、それは同じ原理で繰り返しているに過ぎない。
そうとは限らないとしても、同じ原理で繰り返しているなら作者の意思で2回で止めるのもありだと思う。

☆青木さんはどう言うケースで最大回数を止めるのかを言いたいのではなく、どんなケースであれ最大回数にしない創り方はあるんじゃないかと言いたいのだと思う。
僕もそれには全くの同感なのである。

翻弄物創作講座

★僕の作品は翻弄物が占める割合が高い。
詰将棋全般の割合はどうかと言うと、翻弄物は解答者に人気のあるジャンルの割には作品数は少ない。
少ないのは創らないからか、創れないかと考えたら、僕は創り方を知らないからなんじゃないかと思うのである。
ほとんどの作家は知らない分けではないが、創り方のポイントは分かってないと思うので、ここで翻弄物創作講座をしてみたい。
考え方のポイントなので、初級者よりある程度創作経験のある中級者向き講座になる。

①回数は何回からか?
何回以上動かすと翻弄物と呼べるのか。僕は4回だと考えている。3回では翻弄物にはならない。
ただ動かしているたけだと。

②動かす理由を考えよ。
何故、その捨て駒をしなくてはならないか、その理由を積み重ねて行けば自然に翻弄物になる。

で、ここで考え方講座である。
翻弄物は何故面白いのか。
何回も動くからなのか。それもあるがそれが最大の理由だと思っている人は翻弄物は創れないのである。
面白い翻弄物はその捨て駒をする理由が面白いからなのである。
詰将棋は玉方玉は結局は詰まされる運命にある。
翻弄される駒は獅子奮迅や孤軍奮闘の活躍をしようが、所詮は役立たずでしかない。
……そうだろうか?玉方は死ぬのはゲーム上の事。
ただ死ぬのではなく、詰方の捨て駒は自分のポイントになると考えたらどうか。
捨て駒だけでなく、思考させる事もポイントになるのである。
翻弄物はその捨て駒を一つの駒で稼ぐ事になる。
これは玉方には爽快なのである。
翻弄物面白さは詰方が玉方の駒を翻弄していると見るのではなく、玉方の翻弄駒が詰方に捨て駒されるよう翻弄していると見る方が面白いのである。
玉方翻弄駒が詰方に捨て駒をされているように感じさすには、その捨て駒を必要とする理由が大事。
つまり翻弄物は回数より、何故捨てているかでより面白くなるのである。

③翻弄駒は最初から盤面に置け。
詰将棋作家は合駒を動かすのが好きだが、翻弄物では翻弄駒を合駒で出すのは良い手法とは言えない。
前項で翻弄するには、その捨て駒の理由が重要と書いたが、合駒で出そうとすると動く理由が単純化し易いのである。
つまり、翻弄物と合駒は手法として真逆のものが要求されるのである。
翻弄物は翻弄駒は合駒で出さなくても、最初から盤上にある方が生きる。
合駒させて動かすのが3回なら、それは翻弄ではないので、合駒で出すのを勧めるけど。

④邪魔駒消去はお勧め出来ない。
邪魔駒消去はその駒を捨てるのと、翻弄駒を元に戻す2回と、その前に1回元になる位置にする計3回動かす翻弄が入り易い。
これ後1回動かすだけで4回動く事になり翻弄になってしまう。
邪魔駒消去を入れた場合4回は簡単に動いちゃうんだよね。
この邪魔駒消去タイプの4回翻弄は味がないし、類似パターンになり易い。
だからお勧めしないのだが、このパターンは回数を稼げる。
凄く面白い作品になる可能性はあるが、邪魔駒消去パターンならせめて6回は動くようにして欲しい。

☆さて、この考え方が理解出来たなら誰でも翻弄物が創れるようになるだろう。
ただ、この記事を見て翻弄物を創りたくなる人がいるのかと思うのがある。
間違いなくこの記事を見て翻弄物を創ってみようと思う人はいないだろう。
でも誰にも翻弄物を創る気をなくさせて、翻弄物業界を僕が独占しようとこの記事を書いているのではないのである(笑)。

詰パラ2018・6月号(結果稿)高校⑪

詰パラ2018・5月号(結果稿)高校⑪】

★解説の作者の言葉にあるが古い作品である。
30年くらい前かな。投稿しなかった理由は解説の作者コメントの通りだが最大の理由は高い点が出るとは思えなかったからである。
自分らしい作品なので、発表するべきとは思っていたが、高校で良かったかと言うのはある。

☆解説に解答者もほとんど好評だったとあるが、それでこの得点かヨー。
と言いながら、得点より占魚亭さんの短評のように三輪作品らしさに溢れていると感じてもらえたら満足であった。

★この作品は5手目の36角が創作のスタートだったと思う。
今思うに45角、34飛合の展開もあったかな。
当時は全く考えなかったが、今でもそうしないだろうな。

中学校担当者交代

★中学校担当者の中島清志氏は体調不良のため交代するようである。
体調不良なのはちょっと心配ではあるが、中島氏は僕は担当者としては高く評価していたので残念である。
高く評価していた点は、公平な選題と採用期間の安定と返送業務がしっかりしていた事である。
僕は解説が上手いより、この事が担当者には重要と思うが、出来て当たり前と言えなくもない。
出来てない担当者がいるのでこう思えるのかも知れない。

☆後任は太刀岡 甫氏に決まったようである。
太刀岡さん。僕はうーんである。
何がうーんなのかは言うと本人に嫌われそうなので言いたくない。
でも言わなくてはいかんよナー。
太刀岡さんの名前の読み方がうーんなのである(笑)。

詰パラ2018・6月号到着

★昨日は仕事から帰ったら詰パラ6月号が届いていた。
早速、採用作がないか確認だが、6月号の順位戦と同人室は採用されるのは分かっているのでわくわく感はない。
でも同人室は採用されるか若干心配だったので採用されていてホッとしているのである。
若干心配だったのは、課題は「不利」であったが「不利〇〇」と呼べるものではなかったからである。
不利の解釈は作家の自由と書いてあったので、まあ採用はされると高を括ってはいたが。

☆本当の心配は皆不利〇〇手筋を創って来て、僕だけ不利なんたらになってない事を心配していたのである。
それで全作品柿木解図で確認したのだが、昔から不利〇〇と呼ばれている手筋を使った作品の方が少ないようだ。
心配は杞憂であったのと、課題解釈の自由さは同人室として面白いと思う。

★僕の作品は不利〇〇手筋ではないが、不利をどう解釈したかは分り易いはずである。
そしてこの作品は最も作者の特徴がある作品を代表作とするならば、この作品は僕の代表作になる作品である。
あっ、これは形が代表作と言っているのではないのである(笑)。
これは先月号で聞いた気がする人いるかも知れないが、それは気のせいである(笑)。

★実はこの作品で狙っている事がある。
僕の一生の目標だと言っても良い。
それはほっと氏のブログ「詰将棋考察ノート」の「ほっとのイチ押し!」作品になる事なのである。
難解でない作品が条件のようだが、変化量は決して多くはないので難解作にはならないはずである。

☆この作品、手順原理が分かるまでは難しいと思う。
こうするためにはこうするのが分からなければ解けないし、そこは難しいかも知れない。
これで難しいくなるなら難しければ難しいほど良い作品である。
僕は単純な変化量の多さで難しくなる事を嫌っている。
原理解明は難しい方が良いが、それの変化は簡明であるべきだと常々考えている。
この作品は原理の簡明さと、それの変化の簡明さは僕の理想の出来である。

★こうするためにこうするは解いている時は難しくとも、解けたらなるほどと感銘するほどの簡明さがあると自負している作品なのである。
代表作と書いたが、僕の理想とする出来なので正真正銘の代表作でなのである。
形が僕らしくなり過ぎてはいるんだけど。

☆なので、同人室⑧三輪勝昭作は一人でも多くの人に解いて欲しいと願っているのである。

柳原裕司氏

★暁将棋部屋増刊号を読んでいるが、詰将棋専門誌ではないようだ。
でも詰将棋欄は確立してはいないが力を入れているようで、詰将棋は充実して行く予感ありである。

☆この増刊号には柳原裕司氏のインタビューがある。
柳原裕司氏は僕と縁が深いはずなのだが、実は余り交流がない。

★柳原氏の詰パラ編集部は僕の家から10㎞くらいしかなくメチャ近い。
それなのに編集部に行ったのは数えられるくらいである。
それと将棋を指した事は1回もない。

☆僕は中学校1年から将棋を本格的にやっていて、その頃は岐阜県の将棋界は大垣市が最もレベルが高くて岐阜の強豪とか興味がなかったのがある。
岐阜で詰将棋をやっている人で、篠田氏の名前を聞いた頃は僕は将棋をほとんどやらなくなっていた。
もっとも将棋も詰将棋もかなり篠田氏が上であったであろう。

★そのインタビューに同じクラスに後に詰パラで半期賞を受賞するA氏と将棋を指していたとあるが、これ誰なんだろう。
そのA氏とは中学校3年まで将棋を指していたとある。
この辺では当時、将棋道場は大垣に1件しかなく、将棋を本格的にやるなら僕と指しているはず。
まあ、そのA氏は将棋も詰将棋やめてるようだが。

☆柳原氏がもっと将棋を強くなるつもらなら一緒に将棋を指したはずだが、二人共詰将棋に行く事になる。
僕は将棋はその頃揉まれたので、中終盤の実力はしっかりついた。
序盤を全く勉強する気がないのと、考えないと指せない性分なので切れ負け将棋は全くダメなんで将棋を止めたのは正解なのであった。

★で二人共詰将棋に進むのだが、二人の共通点は詰将棋を創るのが好きな事。
詰将棋は鑑賞するのも好き。
さて、この二人が最も向かない仕事は何か?
詰将棋雑誌の編集なんだよな。
詰将棋雑誌の編集は詰将棋が好きなのが一番だけど、詰将棋雑誌の編集は詰将棋を創るのが一番好きでな人は最も向かない仕事になる。
好きな事は好きなようにやってこそ。
詰将棋雑誌の編集をやっていては、やりたい時に好きなように出来ないんだよね。
僕が余り柳原氏の詰パラ編集部に行かなかったのは、詰将棋を創るのが一番好きな人間が編集を手伝える分けなく邪魔になるだけだから行き難かったのである。

☆その内に柳原氏は大阪に行く事になるが、僕はその頃には詰将棋も将棋もほとんどやらない状態になっていた。

★そして、柳原氏と僕も詰将棋から遠ざかる事になる。
僕は柳原氏と一番が縁がある人間なはず。
しかし、ほとんど交流がなかったのである。
でも二人共結局は詰将棋が人生になり、詰将棋に対する気持ちも同じのように思える。
僕と柳原氏とは交流こそ少ないが、縁を最も感じる人なのである。