コロナバ禍詰将棋作家のひとり言

一時的に新型コロナウイルスの事はがり書きます。

三浦九段復帰

☆昨日、三浦九段が復帰された。
不当処分は今年から解除されているはずだが、やっと解除された気分である。
もの凄い報道陣だったようである。
最近はニコニコ生放送棋譜もみれるようである。
僕は見てないのであるが、Twitterの情報を見ると負けたけど良い内容であったようだ。
三浦九段のファンの僕はホッとした気分である。
いつから三浦九段かと言うと、反論文2が出てからである。
あれで将棋連盟の不当性が十分推理出来る。
ただ自分の推理以上に不当な事をしていたのは驚いてしまったが。

★渡辺 明はブログを再開したようだ。
今回の事件では説明出来る事は説明して行くつもりのようだ。
昨日は「剥奪されても構わない」とは言ってないと主張している。
三浦九段が復帰の日にそれを言う。
言うタイミングを考えいたんだ。流石、渡辺 明と感心しているのである(笑)。

☆で、剥奪されても構わないとは言ってないんだな。
よし信用しよう。
つまり、今でも剥奪されては困ると思っているんだ。
世の中には言っていようといまいと、剥奪するべきと考えている人がいるんだけど。
僕はと言えば剥奪には及ばないと思っている。
刑務所に送るべきと思っているのである。
おっと、素直に思っている事を言ってしまった。
公平に見て、裁判に任せるべきところ。
そこで渡辺 明も悪意はなかった事を主張すれば良い。
でも僕は悪意があったと思い込んでいる。
世間でも同じように悪意があったと思っている人は多い。
裁判でそれをハッキリさせて欲しい。

☆そこで、たとえ悪意がなくても自分のした事は何らかの処分を受ける必要がある事を認識しなくてはいけない。

駒の形態

★最近は将棋の駒で色々な形態が開発されているようである。
子供とか外人がとっつき易くするために、そう言ったものを作るのは賛成である。
まあ、自転車の補助輪として役に立つだろう。
だが、自転車の補助輪は乗れるようになれば邪魔である。
将棋は覚えた人がそうした駒を使うのは僕は大反対である。

☆僕は将棋の駒は漢字でないといけないと言う持論がある。
将棋とは読むものである。
その読みをするにはまず盤上認識が必要。その盤の状況を認識するのは、今の五角形で漢字で書かれているのが一番早く頭に入るからである。
漢字の優秀さを証明するのは簡単。
小説が全部平仮名で書かれていたら読むに苦労する。中国みたいに漢字のみでも読み難い。
漢字と平仮名のバランスこそ最高なんである。
漢字の難点は覚えるのが大変な事である。
しかし、将棋で覚える駒表記は19種類しかない。
たかが19種類を覚えれないような人が、将棋が出来る分けない。
だから、認識スピード早い漢字を他のものに変えるのはナンセンスなのである。

★認識スピードであるが、絵とかアルファベットと漢字の駒を作り、盤上認識スピードを計る実験をすると良い。
実際にどんな実験をすれば良いか僕は科学者じゃないから分からないが、漢字が絶対早い。
漢字は象形文字を進化させたものだから優秀なのである。
それともう1つ。
将棋の駒に使われている漢字は1つ1つ特徴が違う字が使われている。
将棋の駒の字を部分的に隠して何の駒か分かるか実験したとする。
多分、1割見えていれば何の駒かわかるはずである。
将棋の駒の漢字は超優秀なのである。

☆盤を見てどの駒がどこにいるか完全に頭で把握するまでの時間が長くかかるのはゲームの性質上良くない。
将棋の駒は漢字でかかれているが最も良いのである。これは外人でも同じである。
向きの認識は五角形が一番良いとは思うが、これは白黒に分ける方が良い可能性はあるかも知れない。

2017・2月号(結果稿)藤井四段昇段記念1

【2017・2月号(結果稿)藤井四段昇段記念1】

★藤井新四段が誕生したのは、詰将棋界にとって最高のニュースである。
まして最年少記録の更新と来てはプロ棋士としての活躍の期待は相当なものである。
僕が「7」の在庫があるなしに関係なく、7冠は期待しているのである。
そこで記念曲詰を大勢で創りたいと思ったのだが、自分で大勢集めるのは無理と思っていたら、相馬慎一さんがTwitterで集め出した。
相馬さんは曲詰でなく、藤井新四段が出すお題創作になりそうであった。
僕は大勢で記念詰を出す事は、他の人が企画するなら自分でやらなくても良いのでありがたいと思ったのだが、記念ならやはり曲詰も欲しいと思ったのである。
記念詰が計画されているのにさらに曲詰となると、沢山いらない。
最少としても4局いるよな。
自分で4作創っては採用されないよな。
少なく共、2作は誰か創ってくれないとと思い打診したのが武島氏であった。

☆僕は武島氏とはメール交流はあるが、ほとんどブログのコメントにしている事と同じである。
性格とかはほとんど分からない。
僕は鈴川君のブログやTwitterによくコメントするので、武島氏よりも鈴川君の方がまだこんな人だなと感じているものがあるくらいで、武島氏がどんな人だかよく分かっていないのである。

★作品の好みはかなり共通するものがあるが、それも僕は鈴川君の方が好みは近い。
ただ、こう言う作品は嫌いだなと思うのは、武島氏と僕は近い気がする。

☆今回、僕は詰パラで解説を書くのは3回目になる。
武島氏は詰パラでは初である。
氏は解説はブログと僕の作品集(5作)でしているが、他に「スマホ詰パラ好作選」を解説していて、丁寧かつ急所をとらえた解説で僕は高く評価している。
デパートの担当は今年限りと言っているので、次は武島氏にやってもらいたいと思っているのは僕だけでないはずである。

★作品であるが、これは当然在庫ではない。
藤井新四段に昇段したから創ったので、正真正銘の記念曲詰である。
「ジ」も「4」も詰上りがこれと言う形がない。
人によってこれがベストと思う形が違うと思う。
これはこれで悪くはないと思っているのである。

将棋界の改革

★このブログで1回書いた事であるが、将棋界の改革方法である。
その時はこうしたら良いのでは的な書き方であったが、今はこうしなくてはいけないと思っている事である。

☆将棋界の改革は新聞社が出来る。
それは新聞社は将棋連盟に契約金を払うのを止める事である。
と言っても棋戦はそのままで、同じように金を出す。
新聞社は契約金を払うのではなく全部賞金として出すのである。
運営費はいるだろうから、残った全部は賞金と言う事である。
将棋連盟はプロ養成機関の奨励会とかの運営費が必要で収入は必要なので賞金の何%が入るとかで、将棋連盟に行くとして、僕が問題にしているのは対局料である。
新聞社は将棋連盟に契約金を払う事により、棋士の対局料を払っている。
僕がこれがいけないと言いたいのである。
プロ棋士はサラリーマンじゃないんだから、棋戦の数だけ収入がある。そんなのプロじゃない。
勝たねば収入はゼロ。これでこそプロ。
(勿論、普及活動とかアマの指導で収入を得るのは良い事である。)
予選などいくら勝っても賞金はゼロ。
本戦トーナメントに入ってやっと賞金が発生するくらいでプロなのである。
かなり勝ち進めば、来年は賞金が発生するところのシード権がもらえて、強ければ来年の最低限の収入も確保出来る。プロはこうでなくてはいけない。

★新聞社に言いたい。
今、将棋連盟に契約金に払うのを止める良い機会だ。
止めてしまえ!
だけど、賞金として同じ金額を出すので、得はしないのである(笑)。

訴訟はいつ

★三浦九段竜王戦挑戦権不当剥奪事件で三浦九段はインタビューにこたえたようだ。
その前に谷川浩司さんだが、僕は雇われ社長の時に起きた不幸な事件と言う気持ちが半分。谷川さんがしっかりしていたらこの事件は起きてないと言う気持ちは半分である。
少なく共、自分の意とする事ではなかったと思う。

☆三浦九段は許せない人として将棋記者の名前を出している。
あれ、後藤元気じゃなかったのか。
後藤は渡辺の肩を持っているだけなのかな。
三浦九段は自分を信じてくれた人に感謝したい事を重に書いているけど、許せない人がいて実名まで出している。
しかも、その人は今迄の情報では出ていない人。
今の状況で迂闊に実名を出すはずない。
これは訴訟の準備が整いつつあると言う事か?

★僕は今回の事件は犯罪だと言いたい。
三浦九段は自分だけでなく、将棋界をめちゃくちゃにされたと思っているようだ。
なら、必ず訴訟を起こしてくれると信じている。
将棋界のためにも裁判にするしか解決しない問題だと僕は思っている。
それには谷川のお兄さんのしている活動が三浦九段の背中を押してくれる事を期待しているのである。

詰パラ2017・2月号(結果稿)D級順位戦

詰パラ2017・2月号(結果稿)D級順位戦
4.0は出て何とか昇級出来るかなと思っていた。
まさか4.43の高得点が出るとは思わなかっ……じゃなく……大駒4枚を空捨てするのは気持ちいいので、このくらい出て当たり前なのである(笑)。
解説に絶好調男と書かれているが、この作品は古い在庫作。確か柿木将棋を持ってない時に創った作品だったと思う。
今月号結果稿の他2作も在庫作。
つまり、絶不調なのであった。
僕は月2作のペースで投稿している。
これは初めは投稿し過ぎないように月2作に決めていたのだが、現在はその心配はなく、在庫を食いつぶさないと月2作のペースは守れなくなっている。
今年はと言うと1月は……あー投稿してない。

詰パラ2017・2月号(結果稿)短大23

詰パラ2017・2月号(結果稿)短大23】
古い在庫からの投稿である。
序盤4手以降は柿木将棋を持っていなかった頃の作品である。
この4手は柿木使って創ったから良い序が入ったとは言えないと思う。
初手は焦点捨て駒であるが、とりあえずやってみる手だし、3手目は駒取りで感心しないし、変化も難しいだけで味がない。
むしろ柿木将棋の弊害とも言える。
でも21手詰では発表する気にならなかった。
理由は不動駒が多過ぎるから。
4手足すと不動駒が減る分けでない。
25手あれば不動駒は仕方ないと言う、自分の気持ちのごまかしとでも言うか。不純である。
67桂、同と、66角、同と、67桂、同との6手はお気に入りで、これが詰上がり10枚以内の曲詰なら満足の作品であった。
まあ、それでも「ヌ」の字はカタカナ炙り出し曲詰の中で良い作品を創るのは最も難しいと思っていて、「ヌ」の字としては悪くない作品だと思っている。
実はこの作品が不動駒が多かったので、不動駒が少ない「ヌ」も創った。
特に良い作品でもないので、いつ投稿するかが問題である。