中日ドラゴンズファン詰将棋作家のひとり言

中日ドラゴンズと野球ネタを書きますが、たまに詰将棋ネタもあります。。

小駒の成駒表記

★小駒の成駒の表記の仕方は詰パラでは現在は銀=成銀、桂=成桂、香=成香、歩=とである。
他の詰将棋本では銀=全、桂=圭、香=杏、歩=とを用いられる事が多い。
詰パラでもこの一字体の時もあったような気がする。

☆これどちらが好きか柳原さんがTwitterでアンケートを取っていたのを見たら、若干成〇表記が多かった。
これ僕には意外であった。
一字体の方が多いと思っていたからである。
アンケートの結果は若干多いと言ってもほぼ同数なので、半々と言える。
僕の予想は2対1で一字体と思っていたが、成〇の支持は意外にあるなと思った次第である。
僕はと言えば一字体は嫌いである。
理由は全は金に、杏は香に一瞬見間違うからである。

★別の理由で一字体が嫌いな人がいるようである。
成銀を全にしたのは銀の裏の字に似ているから。
歩もそう。
しかし、桂の圭と香の杏は違う。
だから桂=令、香=童が良いと言っているがそれは認められそうにないな。
他の駒は画数が少ない簡略タイプなのに童では画数が多いのが嫌われてしまうのである。

☆銀の全だがそもそも裏の字とは違う。実際には横棒が一本多い。
圭と杏は画数の少ない別字である。
全く統一性がない。
統一させようとしたら銀=艮、歩=止か少にするのが良いのである。
これマジで言ってる分けじゃない。
歩はとが美しいし、艮も感じが良くない。

スマホ詰パラは一字体である。
スマホ詰パラは駒の形になっているので一字体にする必要があると思う。
スマホ詰パラの場合は成駒は赤くなるので、全を金に杏を香に直ぐ区別が付くので問題ない。

☆本によって表記が違うのは構わないが、詰パラ本誌は成〇表記が良いと思う。
詰パラを読む人は詰将棋マニアだけでなく、実戦派の人も読んでいるはずで、実戦派の人には銀桂香の成駒一字体表記は使われてないはずだからである。

詰将棋創作で一番大事な事

詰将棋創作で一番大事な事とは何か?
それは簡単である。
しかも一言で言える。
「自分の好きなように創る」である。

☆二番目は何か?
それも簡単である。
「自分の嫌いな事はしない」である。

詰将棋の面白いのはある人の好きな事と嫌いな事が一致している事があったりする事である。
人は好みが真逆なのである。

☆好きなように創ると書いたが、実はこれは最も難しい。意外に好きなように出来ないのが詰将棋創作なのである。
なのでほとんどの作家は嫌いな事にならないように創っている場合が多いのである。

★こうなるのが嫌いの一番人気は何か。
嫌いな事の一番人気と変な日本語であるが、それにツッコミはなしとして一番人気は駒数が多い事だろう。
つまり駒数を増やさない事を第一に考えている作家が多い。
ほぼ全員と言っても間違いないかも知れない。
でも全員ではない。
僕は全く駒数が少ない方が良いとは思ってないので全員ではないのである。

☆僕の作品で目指している点はただ一つ。
詰上がりに詰方の駒が効率良く働いているかである。
そうなっているなら、極論すれば手順がどんなにつまらなくても、又は初形に駒数が多くても構わない。
逆にどんなに手順が良くても主要駒が詰上がりに働いてないならそれは僕の作品ではない。
それが僕の作品である絶対条件なのである。

★詰上がり詰方駒効率が絶対条件であるが、道中もそうなるように創るのが三輪作品である。
詰方と書いたが玉方駒はどれだけ多くても構わないとの考えである。
勿論、その手順での最少は目指す。
僕は凌ぎには自信があるんで普通に創っていれば、その手順の最少にはなっていると思う。
その手順にするには駒数がどうしても必要になるならそれは構わない。
否、どうしても駒数を要するになら、そうしなければ出来ない手順なのでより面白いと言う考えなのである。

☆次に嫌われるのは駒取りだろう。
これは僕も大嫌いである。
ただ僕には詰方駒効率絶対主義があるので、それに反しないための駒取りはいとわないのである。

★詰方駒効率絶対主義を守るために人の嫌いな事をいとわないのが僕の作風である。

☆僕の好きなのは捨て駒である。
組み合わせを考えて面白い手順にするのが僕の作風であるが、単純に捨て駒が連続するだけでも悪くないと思っている。
僕が詰将棋が好きになったのは詰まして気持ち良いからである。
連続捨て駒はそれがある。
だから捨て駒が連続するだけで満足である。

★こないだ風みどりさんのTwitterで僕の作品で曲詰だけは感心しないとツイートしていた。
僕の作品は人の嫌う事を平気でしているので、そう思う人がいても不思議ではない。
僕の曲詰では狭いところで捨て駒が連続する第一としている。
余裕があれば面白い手順も出来るが、所詮条件作なのと、自分の作品は詰上がり詰方駒効率の絶対条件がきついので、狭いところで捨て駒を連続させる事で精一杯になる事がほとんどである。

☆曲詰において狭いところで捨て駒を連続させるとどうなるか。
曲詰は詰上がり駒数が決まっている。
なら捨て駒が増えると使用駒数が増えるのである。
捨て駒が増えると駒数が増える。
これ僕はどう考えいるのか。
僕は捨て駒は多いほど良い→捨て駒の数だけ駒数が増える=駒数が多いほど良い作品となる。
つまり僕は単純に言うと駒数が多いほど良い作品になると思って創っているのである。
まあ、単純ではないのはあるが、駒数は少ないほど良いとする風みどりさんだけでなく世間と逆行しているのである。

★風みどりさんは曲詰だけは感心しないとは逆に言えば普通作は認めていると受け取れる。
曲詰は一種の条件作で、その中で好きな事はしている。
でも所詮は条件作で完全に好きなようには創れないのが曲詰である。
普通作は完全な自由である。
僕は本質的には自由に創っている。
それで作者の主張を感じるようには創っているつもりである。
僕は曲詰作家ではない。
オールマイティーだとは思っているが、本質的には生粋の短編作家である。
風さんのあのツイートは曲詰批判より、僕の本質的なものを褒めていると思い、意外に嬉しいツイートであったのである。

「詰将棋ファン」第2号

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★今夏は詰将棋本の出版が目白押しである。
今回はその中で「詰将棋ファン」第2号について。

☆僕の最大の見所は武島広秋作品であるが、改作図が4作も載っている事である。
正確には公表済みを含めたら5作だが、未公開図が4作ありが素晴らしい。
どんな改作図素晴らしい改作図だろうと100人いて100人良いと言う事はない。
改作図が素晴らしいと言う人が多くても、前の方が良いと言う人は絶対いる。
改作図は新作として発表は出来ないが、僕は新しいものを見た感じになっているのである。

★僕のこの本のお薦めはこの4作なのだが、仮にこの4作がなかったとしても読み応えがある本になっている。
これは実際に全部読んで言っている事なのである。

☆今回の写真の図は「詰将棋ファン」の西川洸佑氏の詰将棋創作過程の記事にある図である。
つまり創作過程の図である。
どうするとこの図になるか、それは買って読んで欲しい。
創作の参考になる記事である。
合駒職人と言えば堀切氏になるが、僕は合駒職人と言えば堀切氏と西川氏(発表名義はペンネーム)と二人名前を上げないといけないと思っている。
その合駒職人の片割れの西川氏の創作法を詰将棋創作過程を記事にしているのである。

★西川氏の創作法は僕とは違うので真似する事はないが、西川氏の創作法だと収束まで出来ている(又は収束の行く先が決まっている)いる場合とそこから収束を付けないといけない時がある。
写真の図は後者である。
この図から右に戻して収束が付くならやっている。
それは不可能なら左に行って収束を付けなくてはいけない。
それ西川氏の創作法にはないのである。苦手なら誰かに助言を求めた方が良いのである。
困ったら誰かに助けを求める事を書いているのにね。

☆写真の図は途中図なので条件はある。
まず右に収束を求めるのは理想だが無理。
手順の条件は飛合を出す事。
6種合は出ているんで。
5筋には駒を置けない(厳密には56・58・59は可)。
63も置けない(64桂なら72が不可)。
75は置く事も玉方利きも不可。
概ねこれだけでかなり自由度がある。

★で、実際の発表図が載っているが、苦手感丸出しの図である。
この図で発表するなら僕に相談した方が良かったのに。

☆この写真の図に至る手順は作者の本領発揮で素晴らしい。
でもこの写真の図にしてしまうと作者のワールドからはどうやってもハズレてしまう。
僕は飛合は諦めて右で収束させる方が作風に合った作品になると思う。
左で飛合を出すなら簡単だが少ない駒数で仕上げるのが一番だが、どうしてもある程度の駒数は必要になる。

玉方 73歩、82歩、93桂。
詰方 81と。
の4枚で一応飛合は発生する。
収束を付けるに玉方96銀。
これで一応完全作で通用すると思う。
枚数は5枚。
発表図よりはよかろう。
僕が作者なら枚数は置いても収束をしめるようにするが、写真の図からはどうやってもアンバランスになるのは否めないのである。

難解次の一手解答

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★前回出題の次の一手の解説である。
問題は次に僕の指した手で、最善手を当てるのではないので難解なのである。
何故この問題を出題したかだが、僕は実戦で指した手を覚えている唯一の手だからである。
唯一覚えているのには理由があり、これで勝ちだと思い指しているのだが、どう考えても最善手に思えない手なので、この局面で普通の人はどう指すか疑問に思っていたからである。

☆さてこの将棋は僕は後手だったのだが写真の図は先後反転してある。
紛らわしいので先手=僕として解説する。

★まず、この局面は後手46歩と打ったところ。
46歩でなく△58角成▲同玉△57金なら▲49玉は17歩成で負けで△69玉は▲67金で怪しい。つまり負けくさい。
これは今検討して思う事で当時は両者切っては足りないと思っていたようだ。

☆記憶に残っているのは46歩を見て勝ったと思った事。そして次の一手も直ぐ浮かんだのである。
相手の手番なら58角成で負け。これだけは許せないと考えた手であった。
そう考えて指した手は▲47歩。

★当然△同歩成と来るだろう。
それに対して▲同銀と取るつもりは全くない。
▲65銀△58と▲77玉で勝ちと読んでいたのである。
次は△57歩成か57とだが▲83香成△同歩▲同香成になった時に22歩の受けが利かないのが自慢である。
後手としてはこの形は詰めろになっていないのでチャンスはある。

☆僕の大局観は▲77玉の局面はここから迷いが生じて負ける事はない。
しかし、出題図の局面は勝つ手は色々あるが迷いが生じて負ける手を指す可能性がある。
どちらが実戦的に最善か。
▲67歩と打てばほぼ▲77玉になるだろう。
僕は最善手より負ける可能性が低い手が最善選択手だと思っている。
それが僕の大局観であり▲47#歩が僕の最善選択手だと今でも思っている。

★でも▲47歩が最善手のはずはない。
ずっと疑問に思っていた。普通の人はどう指すかと。
だれかコメントしてくれないかと思っていたら、案の定だれもコメントはないのである。

☆ところで▲77玉の形を今考えてみたら、△57歩成~△47角成とされると意外に難しい感じである。
△57歩成に▲13歩が利くのかどうか。
△13同飛はないので△47角成▲同龍△12歩成でどっちが勝ち?
それとも▲23香成△同銀▲同香成△47角成▲同龍△42歩▲22金打なのか?
大局観では勝ちと思っていた局面だが難しかったかも知れない。

★実戦譜は▲47歩△同歩成▲65銀△58と▲77玉△57と▲83香成△68銀▲66玉△67と▲55玉△83銀▲同香成△43歩▲42歩△44歩▲92成香△同玉▲84桂△82玉▲19銀△87玉▲92角で投了。
新聞の観戦記事を読むと▲23香成の局面から相手は秒読みだったようである。
とりあえずはまずは△同銀なのに△68銀とは余程慌てていたようだ。
観戦記事を読むと僕の完勝のように書かれているが、今見ると手順の流れが綺麗なのでそう見えるだけで相当荒っぽい。

☆結局僕はこの大会で優勝した。
それで実戦に力を入れる事になる。
……って言うのは真っ赤な嘘である。
実際は真逆である。
満足してやる気がなくなった。それも逆である。
僕の将棋は序盤で自分から良くしようとはしない。
知っている形に組み上げているだけ。
悪手をして来たら咎めて勝っているだけ。
将棋の本質は相手の悪手を咎めて勝っているだけなのだが、それは序盤を闘っている人の言える事である。
僕の序盤はスタイルだけで闘ってない。
僕は将棋の一番面白いのは序盤と思っている。
そして僕は序盤に伸び代がある。
一番面白い事に伸び代がある。
将来有望である。
そうなんだけど、苦手なんだよな。
で、この大会は自分は序盤が苦手だと再認識する事になり、実戦に力を入れなくなっていったのである。

難解次の一手

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★難解次の一手を出題したい。
写真の図は僕の実戦譜。
僕が後手で先後反転してあり手前の僕(後手)の手番。
先手が64歩を打った(写真では46歩)局面である。
これが何故難解なのか。
最善手を当てる問題ではないのである。
実際に指した僕の手を当てる問題なので難解なのである(笑)。

☆因みにこの対局は昭和59年の岐阜県大会。
全国大会の予選ではなく岐阜県だけの大会で、名人戦に近い格はある大会でこれは準決勝である。
因みにこの大会の優勝者は僕である。
そして県大会での優勝は僕はこれだけなのである。

棋譜
▲76歩△84歩▲78銀△34歩▲66歩△62銀▲67銀△54歩▲75歩△85歩▲77角△52金右▲78飛△42玉▲48玉△32玉▲38玉△42銀▲28玉△14歩▲18香△53銀左▲19玉△64歩▲76銀△63銀▲28銀△74歩▲同歩△同銀▲75歩△63銀▲58金左△55歩▲48金寄△94歩▲96歩△84飛▲39金△42金直▲88飛△73桂▲97香△54銀直▲95歩△同歩▲98飛△65歩▲ 95香△94歩▲同香△同香▲95歩△86歩▲同歩△56歩▲同歩△66歩▲94歩△64飛▲68歩△65銀▲同銀△同桂▲55銀△同角▲同歩△56歩▲54香△57歩成▲52香成△同銀▲49金引△67歩成▲同歩△77桂成▲同桂△24香▲54歩△67飛成▲45桂△25香▲53金△44銀▲42金△同玉▲85角△66龍▲64歩にて出題図(先後反転)。

詰将棋は芸術だ

詰パラ2019・8月号のちえのわ雑文集は管理人である鈴川氏の記事である。
テーマは詰将棋は芸術であり、演劇に共通すると言う事みたいである。
僕の感想は何を言っているか全然分からないである。
何故なら僕は演劇が何か全く知らないからなのである(笑)。
冗談なしで演劇は見た事がない。
映画も映画館で見た覚えもない。
但し、これはポルノ映画は除くのである(笑)。
これは冗談でポルノ映画は1回だけ見ただけである。
映画はテレビ番組でやっなのは見るだけで多分今まで生きて来た中で見たのは20本くらいだと思う。

☆僕は好きなのは漫画なのである。
映画を見るくらいなら漫画を読みたい。
アニメは映画より好きだが、アニメより漫画が好き。
漫画の好きなところは、感情表現のマンガチックな絵である。
映画で役者が名演技をしようが、漫画にはかなわない。
と言うか質が違う。
映画は悲しい場面では悲しく感じるのが演技であるが、漫画は基本はギャグなのである。
これは吉本新喜劇も近いものがある。
演劇は見た事がないと書いたが、吉本新喜劇は演劇かと思うが、筋書きが下らない(それが良いとこ)で演劇とは思ってないのである。
ちょっと文章がまとまってないが、漫画は写実的でない、省略さえた絵が好きなのである。
だから劇画のようなリアルに描いてある絵は好きじゃない。
好きな漫画は色々あり中でも、小畑 健「ヒカルの碁」、浦沢直樹「YAWARA」は素晴らしい。
僕からするとこの二人は写実派なんだけど、劇画でなく漫画で抜群に上手い。
昔の手塚治虫赤塚不二夫とかは線が少なくて良いが、感情表現の絵は上手くはないと思う。
(注=漫画の内容にマッチしててその方が良い)
現代の漫画の方が絵が上手い人が多い。
ただ現代の漫画家は背景が細か過ぎる。

★さて、話の主旨は僕の漫画好きになっているが、僕は漫画も芸術だと思っているのである。
漫画は下手な小説や映画より、人の心を打つものが多い。
でも漫画は10あれば9つは下らない。だから芸術とは認められないだけである。
詰将棋も10作あれば9作は下らない。
共通してるよね。

☆ここからが話のオチだが、漫画の感情表現の絵は詰将棋で言えば手の感触になると思う。
手の感触を求めた詰将棋作家だと吉田健氏がいる。
僕も手の感触を大事にする作家のつもりである。
それから漫画は人物設定やストーリーが自由である。
何でもありである。
僕は自分の作品は漫画のような楽しさを感じてもらいたいと考えて創っている。
世の中は楽しさが芸術と認められないところがあるが、僕は漫画も芸術と思っている。
僕の作品は漫画を目指している。
僕からすると漫画は芸術なので、僕の作品は芸術を目指しているのである。

「番上のフロンティア」

詰パラ8月号の大学院の選題の言葉に「盤上のフロンティア」は必読だと書いてある。
僕は必読と言われれば買いたくなくなるが、本屋にあったので買ってしまったのである。
本屋で買うと送料がいらない。その誘惑に負けたのである。

☆「盤上のファンタジア」は至高の作品集である。
「盤上のフロンティア」は嗜好の作品集だと言えよう。
こう言うのを創りたかった作品を集めた作品集で、どう考えて創ったかこと細かく書かれている。
これではある程度作図経験がないと理解出来ない気もするかが、逆に全く作図経験がない人が、自分も詰将棋を創ってみたくなる本になるかも知れない。

★大学院担当者は「盤上のフロンティア」に書かれている印象深い言葉が書かれている。
これは僕には当たり前の事でしかないが、僕の持論は詰将棋は自分の好きなように創るものだと言うのがある。
若島さんが同じ事を言っていて嬉しい限りである。

☆若島さんはその人が自由に創ったのだから作品を批判するような態度を取らないとある。
僕は真逆である。
僕は常に批判をする。詰将棋は好きに創るものだと思っているからである。
批判すれば、好きに創った点では反論があるはずである。それが聞きたいからである。
反論が出来ない場合はどう?
それ好きに創ってないからだよ。
詰将棋は好きに創ってない人が意外に多いのである。
若島さんはいい加減に創るのも自由だと言いたいだろうか?
僕はどうせ創るなら好きに創れで、根本的考えは真逆かも知れない。
ただ一つ言いたい事は、若島さんが言うには詰将棋は自由。
これを若島さんが言う事で、この考えが詰将棋界に浸透する事を期待したいのである。