コロナバ禍詰将棋作家のひとり言

一時的に新型コロナウイルスの事はがり書きます。

Go To トラベルキャンペーンについて

★今日はサウナで羽鳥慎一モーニングショーを見たのである。
と、言っても玉川のアホを見たくないので一瞬だけなのである。
これから書く事は玉川徹の言っている事は記事で見てなので正確ではないかも知れないが、玉川は中国や韓国がPCR検査を徹底的にやっている新型コロナ対策を評価しているようである。
ハッキリと中国や韓国を評価するのは論外である。
①まず中国の発表など信用ならない。
②仮に正確な数の発表だとしても、それは中国や韓国だから出来る事。
中国は陽性でなくても陽性だと言って刑務所に入れる事だって可能なんだよな。
③まあ日本でも可能だとしよう。
この方法は次に発症者が一人でも出たらPCR検査を繰り返し徹底的にやる必要があるんだと言う事が分かっていない。
PCR検査を徹底的にやる事は根本的な解決にならないのである。

☆さて本題のGo To トラベルキャンペーンの是非であるが、これ今やるのは無理じゃない。
僕は感染者が出る事が悪いとは思ってないので止める必要はないと思うけど、政治家がそんな事は言えないし。
政府が中止に躊躇しているのはキャンセル料が発生するからだろう。
こんなもの政府が負担しなければいけないに決まっている。
元々支援として出すお金の名目がキャンセル料に代わるだけ。負担額が増えるならそれはそれで良い。
観光業界の支援が目的だったのが、観光業界を支援するのに変わるだけの事だ。
あれ、何も変わってないじゃんかヨー。

★チラッと見た時は玉川のアホは観光業界だけ支援するのはおかしいと言ってたな。
観光業界と同じ打撃を食らっている業界は他にもあるかも知れないが、今最も窮地なのは観光業界と思っているのは僕だけでないだろう。
そんな業界を真っ先に支援するのが何故おかしいのか?
アホと言う人はアホである。
僕は玉川よりアホになるだろう。
でも玉川はアホ!

最大のコロナ危機

新型コロナウイルスはこれから最大の危機になると僕は思う。
たがそれは政治家の責任である!
新型コロナの収束は政府自体が言っているではないか。
withコロナだと。つまり新型コロナウイルスとはずっとお付き合いしていかなくてはいけないのだ。
その新型コロナと仲良く暮らすに理想の姿は、ウイルスが体内に入っても殺さずに飼い殺しにする事である。
殺してしまえば耐性ウイルスに変異するので、殺してしまわない方が良いとも言える。
この状態にするのが免疫力である。
新型コロナウイルスを体内で飼い、発症させない人が世の中に50%いるとしたら、感染者が2人に感染させるとしたら50%は免疫力で止めるのでそれ以上増えない。
これが集団免疫の考え方で、何%とかは学者の考える事だが、無症状感染者が(後に発症しない条件付きだが)世の中に沢山いればいるほど良いと言う事は分からなくてはいけない。
これ机上の空論ではないのである。
事実として結核はこうして抑え込んでいるのである。
結核は体内に入った結核菌は自然免疫力で殺すか抑え込むかしているのだが、殺さずに抑え込んでいる日本人が大半なのだ。

☆さて新型コロナウイルス結核と同じに出来るかであるが、これ結果に出てるじゃないか。
結核にかかった事がない欧米人はバタバタと死に、結核蔓延国で死者は少ないって事が。
新型コロナウイルスは初めから傾向があった。
感染力は強力だが、意外に致死率は低いと。
集団免疫を目指すには犠牲を伴うものだが、初めからバクチで集団免疫政策でも犠牲はそれほど変わらない。
そして現実は欧米では過去の日本の結核と同じ状態で集団免疫を目指すしかなく、しかも相当の覚悟と時間が必要である。
そして日本が集団免疫を目指すに覚悟など必要がない。
時間は必要だがそれは時間が解決してくれる。

★現在の状況はこう。
でもそれを邪魔する者がある。それは政治家とマスコミである。
PCR検査を何のためにしているのか。
感染者を隔離するためだ。
これしなければいけない事と真逆の事をしている。
無症状感染者を世の中に多く出す事が最善と言うより必要な事。
それなのに真逆の事をしているのである。
無症状感染者は単なる症状の出る前の状態だと考えているのでこうなるのだが、このステージはもう終わっているのである。
百歩譲ろう。このステージはまだ終わっないかも知れないとしよう。そう考えても、やるとしたら無症状感染者は隔離せず、発症してから隔離措置にするとかの体制にするべきである。
そんな事無理?
僕もそう思う。
だとすればPCR検査をするのが悪なのだ。

新型コロナウイルスは欧米はともかく日本ではほかっておけば自然に解決して行く。
それには政治家によるPCR検査をしない事。したければ個人ですれば良い。政府がしたいなら経費を負担するくらいで十分。
それから感染者数の報道を止める事。
知りたい人はネットを見れば良い。
この2点で新型コロナウイルスは解決する。
これからコロナ危機が起きるとしたらそれは政治家の責任である。

コロナ対策として必要な政策

★僕がこのブログで新型コロナウイルスに関する事は推測である。
その推測は数字によるデータから考えた事はある。
全くの素人だけどバカな専門家の言う事より当たっている自信はある。
全くのド素人の僕の理論であるが、それを上手く説明した大変良い記事を不透明人間さんがツイートしているので読んで欲しい。

☆僕の推測理論。
新型コロナウイルスは毒性が低い。
②欧米人は死ぬが日本人は死なない。
この理由は結核菌対する免疫力が働くため。

★この推測理由が正しいならしてはならない政策がある。
PCR検査はしてはダメ。
②外出自粛もダメ。
誰も死なないなら陽性者を発見しても意味がない。

☆現在、第2派みたいになっているが、これは変異した可能性がある。
どう変異したか。
感染力が強くなり毒性が更に弱くなった。
現在の数字はその傾向が出ている。
まだ断定するのは早いとしても、1ヶ月位すればそうかそうでないかの納得する数字は出るはずである。
もし僕の推測通りは数字が出たとして、陽性になっても発症さえしていないなら問題ない事が国民の皆が分かるかそれが問題なんだよな。

結核は陽性になっても発症しなければ良い病気。
実際にほとんどの人が体内に入った結核菌は免疫力で抑えているのである。
それでも免疫力が負けて発症する人が2万人近くいる。
そしで死ぬ人も2000人近くいる。BCCワクチンがあるのにだ。
結核は昔恐ろしい病気であった。
しかし、今はほとんど恐れられていない。
その結核は今でも、新型コロナウイルスより恐ろしいと言うのに。

PCR検査をバンバンするのはアホなんだけど、毒性が低い事を証明するには良い方法かも知れない。
問題はその結果が出た時に利用出来るかだな。
名称を覚えていないので意味が伝わるかなと思うテキトーな名称を書くが、特定伝染病指定されていたら陽性者は入院しなくてはいけないような法律があるみたいだが、無症状は入院する必要はないので新型コロナウイルスはその指定から外す必要がある。

ほど遠いコロナの収束

新型コロナウイルスの感染者数が再び増加している事を見ると収束はまだまだだと言わざるを得ない。
これは国民の認識が根本的に間違っているからである。
感染者は死ぬ人が一人もいないならどれだけ感染者が増えても構わない。
否、全員が感染した方が良いくらいである。
死ぬ人が一人もいないってのが間違っているから、全員が感染した方が良いとはならない。
しかし、現在は重症者や死者は格段に減って来ている。
元々死亡率が低いウイルスなので、それが更に下がっているので感染者が増える事は悪い事ではない。
それが分からない国民が多いのでコロナの収束は見えないのである。

☆ワクチンは結局はウイルスに感染させて退治の練習をさせるものである。
ワクチンはウイルスを安全化させたもの。
新型コロナウイルスは単体ではほとんど死なない。
これに感染して発症しないならワクチンを打っているのと同じなのである。
新型コロナウイルスは天然ワクチンと言っても良いのだ。

★持病がある人の死亡率が高いとか色々あるので、そう単純には考えれないのは確か。
でも日本人の死亡率は低い。
日本人だけでなく死亡率が低い国は実際に存在している。
何故、欧米と差があるのか。
それは以前に何かのウイルスに感染して、それが天然ワクチンになっているからなのだ。
それがなかったら日本はアメリカと同じになっている。
新型コロナウイルス単体ではまず死ぬ事はない。
むしろ感染するのは将来的には有益なのだ。

☆それともう一つ。
無症状感染者の扱いである。
無症状感染者は世の中に沢山いればいるほど良いのである。
それを隔離しちゃダメ。
無症状感染者は免疫で退治する正義の味方なのだ。
新型コロナウイルスには潜伏期間があり、1週間後に発症する人かも知れない。そうなれば最も感染させ易い人に反転してしまうので隔離する必要はあるのは分かる。
でも免疫力がある無症状感染者の数が増えて来たら隔離したらダメなんだ。
その判断は難しいとしても、免疫力がある無症状感染者が正義の味方だと分かってないのが問題。
これを国民が理解すれば新型コロナウイルスの収束になるのである。

祝!最年少タイトル

藤井聡太7段が棋聖のタイトル奪取に成功したようである。
最年少タイトルは4段になった時から期待していた事なので、ホッとしているのである。

☆藤井新棋聖の凄さは指した瞬間はAIの評価値は高くない手が、AIが時間を掛けると評価値が上がる手がある事である。
感が相当に良いんだろうな。
詰将棋をやっていて培われた事だと思う。

★藤井新棋聖にちょっと残念な事もある。
それは手つき。
中原名人や谷川名人がめちゃ綺麗だったので尚更である。

コロナバ禍は終らない

コロナウイルスが収束したようなのでブログ名を元に戻そうと思っていたのだが、再流行の傾向なので変更出来なくなりそうなのである。
東京の感染者数が200人を連日越しているのはPCR検査の強化だと思っていたが、他県でも感染者がで出しているようである。
これは心配である。
テレビの餌食にならないかである。
そして政府がバカな緊急事態宣言の再発動をしなかである。
コロナ対策で何の役に立ってない立憲民主党が更に下らない事を言いそうである。(もう言っているけど)

新型コロナウイルスは大したウイルスじゃない。
新型コロナウイルスを恐がっている人は新型コロナウイルスで死ななければ、他の原因で死んでも良い思考回路になっている。
これらの人は新型コロナウイルスが恐いなら他の事も恐れなくてはいけないのが分かっていない。
今一番恐いのは集中豪雨による水害である。
その心配がなくなれば熱中症が方が恐い。
交通事故だってある。アクセルとブレーキの踏み間違える人がいるから歩道も歩けない。

新型コロナウイルスの感染者が増え出すと死ぬ可能性が高くなると思うのが致命的な間違えである。
これらの人は新型コロナウイルスで死ぬ前に既に死んでいるのである。致命的なのである。
今、増えている感染者はほとんど死なない。
実は現在の状況はむしろ理想的なのである。

新型コロナウイルスに限らずウイルスとは共存するしかないのである。
凶悪なウイルスなら感染者を出さない方法にする必要があるが、これだけ感染力があるウイルスでは感染者の根絶は不可能である。
それで頼るのは医療でもワクチンでもない。
勿論、重症化すれば医療を頼るしかないが、治療法は大分分かって来て死亡率は減るはずである。
今、それ以上に大事なのは感染しない事でなく、発症しない事である。
それにはワクチンだがワクチンに頼る考えはダメである。インフルエンザのワクチンだって完璧じゃない。無意味と言っているのではない。
効果はあるが安心は出来ないのだ。
頼れるのはただ一つ。それは自分の免疫力である。
現在の日本が今迄全くウイルスのない社会だったとしたら今回の新型コロナウイルスで何十万人が死んでいただろう。
過去のウイルスや細菌が免疫力を付けていたから日本人は助かっているのである。
ウイルスは型が変われば過去の抗体は役に立たないので、そのために何人も死んでいる。
でも全くウイルスの皆無の世界だったら日本人の死者が1000人程度で済んでいるはずがない。
ウイルスがいたのは有益だったのである。

★将来もっと凶悪なウイルスが来るだろう。
今回の新型コロナウイルスはそのために人間に免疫力を付けさせるために来ているウイルスだと考えないとダメなのである。
緊急事態宣言の再発動のバカな事をしてはならない。
死亡者が再度上昇するようなら僕の考えは間違いだと認めるが、今回の感染者からは死亡者はそれほど出ないと僕は読んでいる。
もしそうなれば感染者が出ないより、むしろ出る方が理想なのである。
この致死率が低い新型ウイルスは本当は人類にとって有益なウイルスなのである。

原型戻しの大流行

詰パラ2020・7月号は土曜日に届いたのである。
当然目玉記事は看寿賞選考会議である。
それを読んでいると「原型戻し」が大流行りなのである。
しかし、原型戻しの言葉は全く流行っていないのである(笑)。
「原型戻し」の言葉は誰も使わない事はいりす氏がTwitterでもツイートしていたのである。
実は僕は原型戻しの言葉を皆が使って欲しいとは思っていない。
原型戻しは作品の特徴を言うものではなく創作手法だからである。
作品の特徴を示すならもっと良い言葉があるはずだと思っているのである。

☆「原型戻し」とは何かだが、何かの理由で一つの事をする(ある駒の移動・変換・消去)のにそれをした後に他の駒を全て元に戻す事である。
他の駒が1枚でも違うと原型ではないので1枚でも違えば原型戻しではなくなる。
創作手法としては原型戻しがピッタリなのである。
でも作品の特徴とするなら1枚配置が違うのだから原型戻しではない。原型でもないし戻しの表現もへんである。
局面対比の方がまだピンと来るだろう。

★原型戻しだが1枚の動くだけで、他の駒は動かない場合は元に戻す作業はいらないはどうかだが、これも原型戻しである。
看寿賞の山路大輔作の17銀が成銀になる作品は他の駒は動かない。が、戻す作業は銀でしていて、他の駒は原型維持をしているので原型戻し手法なのである。
再度お断りを書くと原型戻しの言葉は皆が使う必要はない。これは直接表現する言葉なので僕は使っているだけなのである。

看寿賞候補に久保紀貴作「モーメント」も原型戻しである。46銀が消去され他の駒配置は1枚も変わらない原型なのである。
邪魔駒消去に原型戻しなっている作品はよくあるが、それは全て原型戻しになる。この手筋は当たり前のようによく見るので原型戻しになるのは大した事ないように感じてしまうが、実は邪魔駒消去を原型戻しにするのは優れた手法なのである。
久保作は原型に戻すのにと金が1周してくる凄い作品で僕が選考委員なら久保作に投票しただろう。
山路作の方が投票が多かったのは形だと思うが、悪形な久保作は悪形でしか成立しない手順なので、悪形だからこそ久保作の方が優れていると僕は考えるのである。

★原型戻しは基本1枚だけしか変わる事が許せない。
でも1枚は1組とする方が良いかも知れない。
それが短編コンクール50渡辺直史作である。
この作品は45馬と65馬が入れ替わり他の配置は変わらない。これも原型戻しとしたい作品である。
因みに僕が看寿賞選考委員なら一次投票で投票しているのである。二次投票は残れば投票しただろうが二次投票には残らないだろう。
この入れ替わりだが7月号結果稿詰四会作品展①津久井康雄作は52金と54銀の入れ替わりでこれも原型戻しになる。
ただ短コン渡辺作のように評価はしていない。52金は43や63に動いてしまうと52には戻れない。
渡辺作の馬角は動いても戻れる。このため創作難易度や不思議さが全然違うのである。
これは津久井作をディスるものではなく渡辺作を称賛しているのである。

☆結果稿でデパートの①▽(この文字変換は間違いか?)作は2手目と最終手で63銀→63成銀の原型維持。
②馬屋原剛作は初形と最終形で54歩→55歩の原型維持になっている。
これも原型戻し手法と呼びたいところである。
原型戻し手法であるが、原型とは盤面配置だけで持駒は減っているのは構わない。持駒減って詰方が有利になる事はあり得ないからである。
むしろ減れば減るほど良い作品になる。
持駒が変わる場合は飛が歩になる事も有利になる場合があるので原型戻しにはならない。
原型戻しになっていたとしても持駒変換と呼ぶべきで、どちらが優れているとかの話でなく別物だと考えたいのである。
持駒の件を書いたのは①②共に持駒も変わっていないからである。
僕は実は原型を最終手を対象とするのは原型戻し手法にはならないと思っているのである。
原型戻しとは何かの理由のため1枚以外は原型にするものである。
最終手だと理由は王手をするためになり、詰将棋で王手は絶対条件である。絶対条件は理由になってないと思うからである。
でも馬屋原作を原型戻しとしたいのは持歩があれば原型54歩→55歩は簡単に出来てしまう。
これを持駒を含めた原型にするのは死ぬほど難しいのである。
馬屋原作を見てこの狙いで昨日1日考えてみたが、最短手数条件ではこの手順パターンしかないとの結論が出た。
持駒が変わらない条件で、元に戻る不思議さが十分にあるので原型戻しになっていると思うのである。
ところでこの2作は手順の極限表現のために配置がおぞましいものがある。
こんな作品ばかりだと嫌になってしまうが、こう言う作品を積極的に採用するのがデパートであって欲しいので、この2作の採用は評価したい。
他の3作で上手く調和させてるし。

★他の原型戻しになっている作品は中学校半期賞の青木裕一作もある。
邪魔駒消去原型戻しだが飛打ち成捨てを2回繰り返すのが新機軸になっている。

☆中編賞の小林尚樹作は初形と22手目で64桂→54桂の原型戻しである。
この間に銀3桂2を消費しているのが素晴らしい。
持駒が減れば減るほど良いのである。
この作品の素晴しさは銀3桂2枚捨てるのに一見どれか省いても良さそうに見えるところである。
これ局面が変えれば3手目同金では詰み同桂になってしまう。
配置は作者の意思でこのこれだけ捨てないと成立しないようにしているのである。
一見見た事があるような手順であるが、原型戻しとして新しい事をしている作品なので、僕には中編賞はダントツでこの作品である。
残念なのは、これで看寿賞に関する記事を書く時に、看寿賞受賞作より小林作の方が好きな作品だと書けなくなってしまったのである(笑)。

★この記事の主旨は僕は前々から原型戻しは創作手法として面白い事を書いていた。
原型戻しの言葉は皆に使って欲しいとは全く思っていない。が、創作手法として原型戻しを結構昔から良いと言っている事を自慢したいのである。