コロナバ禍詰将棋作家のひとり言

一時的に新型コロナウイルスの事はがり書きます。

〈詰将棋〉詰パラ2018・12月号(結果稿)短大

詰パラ2018・12月号(結果稿)短大】

★総評に竹中健一氏「今月は好作ばかりで順位がどうなるか楽しみ…」とある。
全くその通りである。
それは僕の作品が首位だったから言える事なのである(笑)。

☆僕の予想では自分の作品は2.80越えで順位はあるかもとは思っていた。
解説者は作者にしてみれば標準と言う感もある曲詰とあるが、僕自身も手順は標準の出来だと思う。
作意の時だけキチッと制空する感触が良く、かつそれが見えないと難解になるところは評価さるはずと思っていて、その判断は間違ってなかったようである。
ところでこの作品の解説を読んでいると同じ人の同じ短評を見たような気になるが、それは気のせいである(笑)。
ちょっとした担当者のチョンボだろう。

★短大13・14・15は山路.有吉・大橋作と続く。
名前だけでもどんな作品か楽しみになる。
3作共納得の好作であった。
ただ山路作と有吉作は良いけどこれが完璧な手順構成とは思わない部分もある。
一流作家の優良素材の最高の料理には感じないって感じであった。

☆最後に短大11広瀬作だがこれは素晴らしい。
今年の看寿賞が何になるか分からないが、その看寿賞になる作品よりこの作品を僕は評価するだろう。
それくらい素晴らしいのである。
まあ、僕が看寿賞作より良い作品だと思う作品があるのは毎年の事なのである。

★この作品の創作過程はまずは収束7手が素材とある。
そこから桂を全て35に打ち捨てる→そうするのに44角、45歩、56角が邪魔駒になる形が浮かんだのだと思う。
その形になったら作家ならしたくなる事がある。
44角、45歩、56角を打つ手を入れる事である。
それで作者の創りたい手順は出来た。
これは完璧な手順構成である。
詰将棋は配置の効率化のために本来の主題には必要のない手を入れたりするものである。
その方面で完成度を目指すのが詰将棋の基本の創作法なのだが、まれに余分な手は一切入れたくない手順もある。
それがこの作品で無駄な手がない完璧な手順構成になってのである。
完璧な手順構成なら形に批判するのは的外れ。
勿論、推敲不足で悪形なのは論外だが、やむを得ない悪形は悪い事ではないのである。

☆さてこれからが本題で、この作品、僕には気に入らないところが一つある。
それは3手目の歩を打ってない事である。
この手は打たないと面白さ10分の1にしかならない。
何故、打ちにしなかったのか。
それは打ちにするのが至難だからである。
打ちにするのが難しい理由は
①初手45角は詰まなくする→45合には同銀で詰むようにする→3手目45銀を詰まなくするのが難しい。
64と、65歩、66銀の形がほぼ絶対なのが辛い。
46歩の形は45歩なら55玉に37角~47桂で詰み、45銀ならそれが利かなく出来る。
②46歩型は初手で46桂を打てなくしている。
46桂は打てないと4手目34玉と戻られて困るのだ。

少なく共、この2点46歩型で解決していて、持駒歩にしてどうやって解決するか。
かなり難しいのである。
仮に可能だとしても短大に採用される形にならないだろう。
でも僕なら打ちに拘るだろうな。
完璧な手順構成なら悪形は悪じゃないと言う考え方なんでね。