コロナバ禍詰将棋作家のひとり言

一時的に新型コロナウイルスの事はがり書きます。

詰将棋を始めた理由

詰将棋作家は詰将棋が好きだから詰将棋を創るのである。
何故、詰将棋を好きになったのか?
僕が詰将棋が好きになった理由を書いてみようと思うのである。
僕が将棋のルールを覚えたのはいつか覚えがないが、対局を始めたのは小学校6年の頃である。
僕はルールを知っていただけだか、同級生ではルールを知ってるだけの相手には負けなかった。
だが初歩的な戦法を知ってる相手には勝てない。
だから本を買って将棋の勉強をした。
すると勝ったり負けたりするようになった。
そうなると僕は負けるのが非常に嫌いな性格なのである。
負けず嫌いかと言うとちょと違うのである。
負けるのが嫌だから、将棋を指したくなくなるのだ。
これは多分世に言う、負けず嫌いの性格とは真逆なのだろう(笑)。
そこで買った本が詰将棋の本である。
将棋は相手の玉を詰ませば勝ちである。
戦術本は相手がその通り指して来ないなら意味がない。
しかし、詰将棋は必ず詰むようになっている。
不詰作なら詰まないが、僕が買ったのはプロ棋士の市販本である。不詰局は1作もなかった。
必ず詰む=必ず勝つと言う事で詰将棋は僕に向いていたのである。
詰将棋は解けなければ、詰まないのだから勝ちにならないと言う人もいるかも知れないが、僕は違うのであった。
本屋に売っているプロ棋士詰将棋の本はほぼ全部、次のページに詰ます手順が載っている。
僕は解くのが勝負と思っていなくて、詰めば勝ちと言う事でろくに考えもせず答えを見ていた。
その方が沢山勝てて気持ちいいからだ。
そんなんで詰将棋=必ず詰む=必ず勝つ=気持ちいいと思うようになった。
それから本屋でプロ棋士詰将棋の本を沢山買って見ている内に、気持ちいいも作品によって度合いが違うのに気付いた。
特に気持ちいい作品とは詰方の駒がギリギリ働いている作品であった。
手筋の捨て駒があるとどちらに受けても、ギリギリ働いていたりするのだ。
だから手筋の捨て駒を非常に好むようになって行った。
詰将棋は必ず勝てて気持ちいいのだか、さらに気持ちいい勝ち方を求めるようになって行ったのである。
そんなんであるから僕に詰将棋に求めているのは気持ち良さなのである。
気持ち良くなければ詰将棋じゃないと思うのが僕である。
そんな理由で詰将棋が好きになったので、詰将棋を創る理由も同じである。
僕の作品に求めるのはただひとつ気持ち良い事それだけである。
色々手を変え品を変えして、気持ち良さを出すのを工夫して作品を創っているのである。