コロナバ禍詰将棋作家のひとり言

一時的に新型コロナウイルスの事はがり書きます。

詰パラ2016順位戦予想

詰パラ2016年順位戦予想】

今年の順位戦の作者と順位予想をした。

A級作者予想=①三角②水谷③武④仲西⑤中村。
順位予想=②⑤①④③

②⑤は逆かも知れない。
①はオリジナル性に欠けるので評価していないが、作品の出来は素晴らしい。


B級作者予想=①武島②芹田③山田④金子⑤鈴川⑥八嶋⑦濱田⑧馬屋原。
順位予想=②③⑤⑦⑧⑥④①

作者予想①③は当たっているだろう。他は消去法で当てはめたテキトー予想である。
順位予想であるが、僕は④が解けていない。
詰んでいると思うが、作意順が見当たらない。受けの妙手を見逃しているのだろうが分からない。
順位予想は作者予想以上にテキトーである。
良い作品が一つもないからである。
アホらしくて順位予想する気にならないレベルと思う。


C級作者予想=①則内②小林③有吉④仲田⑤青木⑥利波⑦中出⑧三輪。
順位予想=③②⑤①④⑧⑥⑦

作者予想は⑧は決まり。③は有吉作だろう。
後は消去法でテキトー予想。
順位予想は頭は三連単で有力だと思うが、以下はテキトー予想。
③もそれほど良いとは思わないが、昇給ラインにはあるだろう。


《総評》A級①②⑤
B級③
C級③以外は、解いても余り面白くない作品のように、僕は思ったのである。
こう言えるのはB級①以外は解いていないからである(笑)。

看寿賞はこう変えるべき

★僕は看寿賞はこれだけはこう変えて欲しい事がある。
それは短編・中編・長編は必ず1作とする事である。
必ず1作とは、該当作なしや2作受賞はダメである。
なら3作以上は……書く必要もない決り切った事である。
特別賞は該当作があれば授賞にして設けておく。
これで名目は年間最優秀作品と言う事になる。

☆そして、ここからが重要な案で、次点作を次点賞として表彰する。
最優秀作品と次点賞作品の違い。それは最優秀作品には賞金があるが、次点賞は0円にする。
この次点賞を設ける意味は、次点作にも看寿賞の名誉を与えるためである。
今年の看寿賞の長編だか、田島作と岡村作はどちらか選びようがないと思う。
僕は断然岡村作で田島作は落とす。
だが、逆の人もいる。どちらかに投票となれば、多数決なら田島作にはなるだろう。
だが、一番多いのはどちらかにするのは酷だと思う人だろう。
そんな時、次点システムがあれば酷ではない。
甲乙付けれないなら、必ず次点に選ばれるからだ。

★で、次点賞の名誉であるが、僕は歴代看寿賞で看寿賞受賞作より、次点に泣いた作品の方が良い作品がはるかに多いと思っている。
これ意外にも僕と同じように感じている人は大勢いるのではと推測している。
看寿賞作と次点作とどちらが優れている作品が多いかアンケートを取ったら、次点作が勝つと思っているくらいである。

☆そんなんであるから、僕の案が通ったあかつきには、看寿賞より次点賞の方が名誉になるのである。

駒場和男氏

駒場和男氏が亡くなられました。
来月号の詰パラに追憶文が載るだろうが、誰が書くのだろう。
僕は駒場さんの作品はリアルタイムで解いた事はない。
そもそも解けない僕は、長編は鑑賞するだけなのだが、リアルタイムで鑑賞出来たのは「三十六人斬り」であった。
この作品の当時の感想は、皆がキズとしているところは僕は完全な余詰だと思った事である。
今はと言うと、やはり完全な不完全作だと思う。
この作品は今はどう扱われているのだろうか?

駒場氏の書かれた文章はブログ「借り猫かも」さんが「詰将棋トライアスロン」に書かれたものを掲載していて、それを興味深く読ませて頂いた。
そこに書かれていたと思うが、修正の三原則を言われていた。
これには異論がある。
駒場氏に異論があるんじゃない。
駒場氏は本当はこう思ってないのに、氏が言った事で皆信じてしまっている事に異論があるのである。

☆修正の三原則とは、作意・玉位置を変えてはいけないような事である。
僕には論外の理論なので良く覚えていない。
意とする事は作者尊重である。

★ここで修正案が2例あるとする。
①作意に少し変革を加えた図。作者の心は折るが良くなる。
②作意不変で配置のみの修正。良くはならない図。
①は作品尊重派。②は作者尊重派と呼ぶ事にしよう。
人それぞれ尊重するものが違うから、どちらが良いかは意見が分かれるだろう。
②が多数派かも知れない。
僕はどちらか分かるだろうか?
このブログを読んでいたら確信するものがあるだろう。
①作品尊重派に決まっている。
さて、駒場氏はどちらか?
これは僕は確信するものがある。①作品尊重派に決まっている。
作品尊重派が修正する時に、作意や玉位置不変など考えるはずはない。
駒場氏は修正三原則を唱え出したのには、何か作者を尊重しなくてはならない出来事があったためだと思う。

☆修正三原則は作者尊重こそ尊いと考えるのはよろしい。
だが、駒場氏が言っているから信じるのは止めて欲しい。
駒場氏は作品が良くなる事が何より大事に考える人。
本心でない事を言って、それを信じられては、死んでも浮かばれないのである。

看寿賞選考システム批判

看寿賞選考システム批判】

★この記事は看寿賞選考のシステムを批判するものである。
僕は今の看寿賞選考システムを続けていてはダメだと言いたい。
この記事はその理由を書いたものである。

☆まず、看寿賞選考システムがダメと言っているのだが、選考システム自体は悪くない。
そのシステムが機能してないからダメなのである。
そして、機能させるのは難しいし、無理だと思う。
何故機能しないかは、ズバリ選考委員の鑑賞眼が低いからである。
もしくは、鑑賞眼が高くても、充分論議に反映されていないからである。

詰パラ6月号順位戦宮原 航作。
これ、23角、35玉、45角成以下なら、単なる手筋物である。
それを一旦34玉にしないといけないのが、この作品を面白くしている。
それのテーマは打ち換え。
その実現が23角~34角成と12角~45角成が同じ類に見えるように創ってある。
それで片方は無駄に見えるのがこの作品の良さ。
で、収束は配置から見えている手順の方が効果的。
そして、単なる積み崩しでもない。
配置だが、これは素材=完成品にはなり難い。
初手12角は44玉には24飛成で後の作意はこのため。35玉は序4手が無駄。なので36玉を詰まなくすることで成立する。
12角はダメで23角なら詰むには14角成で詰むように創っている分けだが、この部分は作為的にならざる得ない。
配置の批判を言うならもっと良い配置を示さなくてはいけないし、逆に作為的配置は手順に創意があるからである。
〇田氏「同じ向きからの角打ち2回と言うテーマに魅了は感じない。」
何言ってんの!ほとんど同じように見えるように創っていて、それが面白いのに。

別にこの選考委員は論議内容として出すのは良い。
それを反論する論議が交わされないようなら、こんなシステムは止めろと言うのが、僕の主張である。

☆この選考システムで続けるなら選考委員はオールマイティーに鑑賞眼のある人に総入れ換えしなくてはダメだ。
僕は偉そうな事を言ってるが、僕とて鑑賞眼があるとは言えない。
僕は中編以上になると捌き重視で、ロジックの優秀さには見向きもしないだろう。
オールマイティーに鑑賞眼がある人などほとんどいない。
僕はいる方がおかしいと思っている。

詰将棋の観る目は各自違うもの。
鑑賞眼に違いがあるのは当たり前。
それを論議して決めるのは無理なのだ。
この論議システムは皆を納得させるためのものでしかない。
それは逆効果になっているから、もう止めにした方が良い。
続けるなら口の旨い選考委員を揃えるべき。
水上編集長の独断で決めても良い。

☆実はこの看寿賞選考システムの批判は風さんにしている。
そして、この選考システムが来年も変わらないなら、僕の作品が看寿賞に選考されても辞退すると言ってある。
このブログで宣言しよう。
この看寿賞選考システムが変わらないなら、僕の作品が看寿賞に選ばれても辞退すると。

★この宣言は、僕の作品は看寿賞には選ばれないと高を括っているから言える事なんだけど、選考システムの見直しくらいは考えて欲しいものである。

☆かなり爆弾的〰💣💥な事を書いたので、皆さんからのコメントがあるのを期待しているのである。

詰パラ2016・7月号結果稿

詰パラ2016・7月号結果稿】

幼稚園⑤
4手目同飛は 31馬、22合、14金となっているが、正しくは22同馬、同飛、14金である。
まあ、これは分かるだろう。
僕の得意なコンビネーション作品。
これは代表作と言って良いだろう(笑)。
ところでこの作品14金は15とにするか迷った。
15とにすると初手25桂が第一感になる。
14金でもそんなに変わらないけど、ちょっとは他の手を読むと思う。
手の効果は15金を25金にするより、14金を25金にする方が大きいのに、15と型だと無意識に25桂と打つのは不思議である。


中学校⑱
24金合の変化は同飛、同玉、35金となっているが、正しくは34金。
まあ、どうと言う事もない誤植。
分からないのが二人の短評。
はやし「初手23銀じゃないのか。それなら三輪さんじゃないか。」
大沼洋之「……作者名知らないとあきらめていたかも。」
どう言う意味なんでしょう。
特に大沼さんは作者名が僕じゃなければ、解くのを諦めていたとしかなく、三輪勝昭作だからこそ諦めずに解いてくれたのか?
そんな事があるのかと思い、分からない短評としたのだが、もしそうなら作者冥利に尽きる事である。
ありがとうございます。
この作品は取らずの手筋になる取らない銀を合駒で発生させたかったのである。
さほど難しい狙いでないのに配置が重くなってしまった。
作者の腕が悪いのか。
はたまた手順構成が悪いのか。
何か良い改作案があれば、教えて頂きたい。

詰パラ2016・7月号到着

★昨日、詰パラ7月号が届いていた。
早速見るのは学校とデパートに自作が採用されているかである。
中学校と短大に採用されていた。
あー、良かった。

☆選題の言葉であるが、中学校と短大担当者は同じ事を言っているので面白い。
基本的には手元にある単純に良いと思った5作を選んでいるとの意味を書いている。
これは僕は大賛成である。
大学と大学院は題数な少ないので、何か共通性を持たするのもありだと思うが、学校は良い作品は早期採用するべきである。
デパートは逆に在庫は絶対たまるので、何か趣向を凝らして、5作を選んで欲しい。

★デパートの選題の言葉であるが「稀によくあり」は面白いのである(笑)。

コンピョーターによる詰将棋創作TETSUさん編

★僕は今日はやらないけない事があると言うのにブログの更新をする事にした。

☆「おもちゃ箱」を覗いてみた。
どこをクリックしたかよく覚えていないが、TETSUさんが、昨日コンピョーターの詰将棋創作に警鐘を鳴らす人と話をしたとある。
これは鈴川氏の昨日のブログ記事(my cube)を見れば誰か明らかである。
穏やかな話だったのか、疑問があるが(笑)。

★TETSUさんの記事では、吉村達也氏がコンピューターの詰将棋創作に関する恐ろしい未来を予測している随筆が見れるようになっている。
20年前の記事だと思うが、凄い予知能力である。
さらに今、ご存命ならこれから何10年後かは、コンピョーターの詰将棋創作の開発が進み、人間が詰将棋を創れなくなると予想するだろう。
創れなくなるとは、苦労して創くってもコンピューターが簡単に創ってしまうと言う事だ。
それで詰将棋創作の趣味は終わりとなる。
いかにもごもっともである。
だけど、僕の予想は違う。
一言で言えば、どんなにコンピューターの詰将棋創作が開発されようと、詰将棋創作の終焉などないと予測している。
根拠は詰将棋の作品は無限に出来るものだからである。

☆まずは現実の話をしよう。
現在のコンピューターの詰将棋の能力で、全検探索創作は可能である。
勿論、現在のコンピューターの解図能力では漏らさず検索は出来ない。
たが易しい作品をピックアップする事は出来る。
僕は難しいだけの作品は良い詰将棋とは思ってないのでむしろ好都合である。
この創作法はコンピューターにやって欲しいと思っている。
これコンピューターがやれば、駒を適当に置いて探索しながら創るのが好きと言う人の楽しみを奪ってまう。
なので、コンピューターに全検探索をやらすなとなるだろう。
僕の考えは違う。
この創作法は僕は「ドブ掃除」と呼んでいる。
詰将棋作家でこの創作法をしている人は短命である。
何故ならドブ掃除と同じくらい面白くないからである。
詰将棋の創作を初めた頃は皆結構やると思う。
他に創り方を知らないからである。
僕もそうだった。
ドブ掃除しか出来ないなら、嫌になって詰将棋創作を止めてしまう。
ドブ掃除以外の創り方を会得した人が、詰将棋創作を続けて行くのである。
で、そんなドブ掃除はコンピューターにやらせた方が良いと思っている。
そもそも、コンピューターに全検探索をやらすにしても何らかの条件を付けない事には無限探索になってしまう。
その条件の付け方で上手い下手が問われるので、たとえコンピューターに全検探索で作らせても、出来た作品はその人の作品である。
僕がドブ掃除とバカにしている創作法は全検探索であり、形から手順を捻り出す創作法は最初の形と言うか条件を選ぶのがセンスであり、これでコンピューター開発が進んだとしても、十分対抗出来るので人間のやる楽しみは残るのである。

★そして、遠い未来には手順入力型創作が可能なると僕は予測している。
そうなれば多くの作家が死ぬかも知らない。
そして、死ぬのは能力のない作家である。
これ、僕には理想である。
現在詰将棋界は作家が多いアンバランスな世界である。
作家が減るのは良い事である。
その作家はどうするか。鑑賞する方に回れば良い。
コンピューターが素晴らしい作品を沢山創るなら、鑑賞する楽しみが増えるではないか。
僕は良い作品を沢山創りたいと思っているが、良い作品を沢山見たいとも思っている。
詰将棋作家で鑑賞する楽しみがない作家は、詰将棋を創る資格はないと思っている。

☆結論だが、コンピューターによる詰将棋創作の開発は詰将棋界に良い作用をもたらすと僕は思っている。
コンピューター開発に警笛を鳴らす人の言っている事は概ね正しい。
負の面は必ず起きる。
だがそれは負を負としか見ていない。
むしろ良い方に展開して行く。
だって良い作品が沢山出来る事が悪い事のはずがないじゃん。
なので、コンピューターによる詰将棋創作の開発を是非して欲しいと僕は思っているのである。