コロナバ禍詰将棋作家のひとり言

一時的に新型コロナウイルスの事はがり書きます。

詰将棋は芸術だ

詰パラ2019・8月号のちえのわ雑文集は管理人である鈴川氏の記事である。
テーマは詰将棋は芸術であり、演劇に共通すると言う事みたいである。
僕の感想は何を言っているか全然分からないである。
何故なら僕は演劇が何か全く知らないからなのである(笑)。
冗談なしで演劇は見た事がない。
映画も映画館で見た覚えもない。
但し、これはポルノ映画は除くのである(笑)。
これは冗談でポルノ映画は1回だけ見ただけである。
映画はテレビ番組でやっなのは見るだけで多分今まで生きて来た中で見たのは20本くらいだと思う。

☆僕は好きなのは漫画なのである。
映画を見るくらいなら漫画を読みたい。
アニメは映画より好きだが、アニメより漫画が好き。
漫画の好きなところは、感情表現のマンガチックな絵である。
映画で役者が名演技をしようが、漫画にはかなわない。
と言うか質が違う。
映画は悲しい場面では悲しく感じるのが演技であるが、漫画は基本はギャグなのである。
これは吉本新喜劇も近いものがある。
演劇は見た事がないと書いたが、吉本新喜劇は演劇かと思うが、筋書きが下らない(それが良いとこ)で演劇とは思ってないのである。
ちょっと文章がまとまってないが、漫画は写実的でない、省略さえた絵が好きなのである。
だから劇画のようなリアルに描いてある絵は好きじゃない。
好きな漫画は色々あり中でも、小畑 健「ヒカルの碁」、浦沢直樹「YAWARA」は素晴らしい。
僕からするとこの二人は写実派なんだけど、劇画でなく漫画で抜群に上手い。
昔の手塚治虫赤塚不二夫とかは線が少なくて良いが、感情表現の絵は上手くはないと思う。
(注=漫画の内容にマッチしててその方が良い)
現代の漫画の方が絵が上手い人が多い。
ただ現代の漫画家は背景が細か過ぎる。

★さて、話の主旨は僕の漫画好きになっているが、僕は漫画も芸術だと思っているのである。
漫画は下手な小説や映画より、人の心を打つものが多い。
でも漫画は10あれば9つは下らない。だから芸術とは認められないだけである。
詰将棋も10作あれば9作は下らない。
共通してるよね。

☆ここからが話のオチだが、漫画の感情表現の絵は詰将棋で言えば手の感触になると思う。
手の感触を求めた詰将棋作家だと吉田健氏がいる。
僕も手の感触を大事にする作家のつもりである。
それから漫画は人物設定やストーリーが自由である。
何でもありである。
僕は自分の作品は漫画のような楽しさを感じてもらいたいと考えて創っている。
世の中は楽しさが芸術と認められないところがあるが、僕は漫画も芸術と思っている。
僕の作品は漫画を目指している。
僕からすると漫画は芸術なので、僕の作品は芸術を目指しているのである。

「番上のフロンティア」

詰パラ8月号の大学院の選題の言葉に「盤上のフロンティア」は必読だと書いてある。
僕は必読と言われれば買いたくなくなるが、本屋にあったので買ってしまったのである。
本屋で買うと送料がいらない。その誘惑に負けたのである。

☆「盤上のファンタジア」は至高の作品集である。
「盤上のフロンティア」は嗜好の作品集だと言えよう。
こう言うのを創りたかった作品を集めた作品集で、どう考えて創ったかこと細かく書かれている。
これではある程度作図経験がないと理解出来ない気もするかが、逆に全く作図経験がない人が、自分も詰将棋を創ってみたくなる本になるかも知れない。

★大学院担当者は「盤上のフロンティア」に書かれている印象深い言葉が書かれている。
これは僕には当たり前の事でしかないが、僕の持論は詰将棋は自分の好きなように創るものだと言うのがある。
若島さんが同じ事を言っていて嬉しい限りである。

☆若島さんはその人が自由に創ったのだから作品を批判するような態度を取らないとある。
僕は真逆である。
僕は常に批判をする。詰将棋は好きに創るものだと思っているからである。
批判すれば、好きに創った点では反論があるはずである。それが聞きたいからである。
反論が出来ない場合はどう?
それ好きに創ってないからだよ。
詰将棋は好きに創ってない人が意外に多いのである。
若島さんはいい加減に創るのも自由だと言いたいだろうか?
僕はどうせ創るなら好きに創れで、根本的考えは真逆かも知れない。
ただ一つ言いたい事は、若島さんが言うには詰将棋は自由。
これを若島さんが言う事で、この考えが詰将棋界に浸透する事を期待したいのである。

詰パラ2019・8月号結果稿

詰パラ2019・8月号結果稿大学院は両作煙詰なので大満足であった。
煙詰が嫌いな人もいるだろうが、僕は機械的趣向作は好きでない。
大学院は2作なんで、このようにどちらに寄せた選題が良いと思うのである。

☆両作共大した手順ではないのだが、僕は詰将棋は心地好い手順である事が第一だと思っていて、両作共にC点なしで2.8以上なのは自分の作品のように嬉しい事であった。

★ところで菅野哲郎作は実戦型だと僕は思っていた。
実は実戦型の定義は詰将棋の用語に詳しくない僕は全く知らないのである。
で、実戦型と言われている作品を見てこう言うのが実戦型だと判断している事がある。
①端に桂香がある。
②その桂香以外は実戦に現れそうにない形をしている(笑)。
この2点である。

ごく珠に実戦に現れても不思議でない形をしている場合もあるが、それは例外である。
多くの症例から端に桂香があり、他は実戦で現れる事が不自然な形をしている事を実戦型だと呼ぶのだと僕は認識しているのである。

☆実は僕は実戦型とはこうだとは全く自信がなかったのである。
今回の作品は作者自身が実戦型だと言っている。
なので今は、僕の実戦型の解釈は間違ってなかったと自信を持っているのである(笑)。


注=実戦型ファンの人はこの記事は無視して下さい。
僕はアンチ実戦型党だから書いている事であり、これは冗談でなく本音なんです。

詰パラ2019・8月号

詰パラ2019・8月号は早く届いていると思う。
8月号の結果稿は高校が楽しみであった。
全作2.8以上もありそうな選題で、集め過ぎで作家としてはこのやり方はどうかとは思うが、一読者としては最高に面白い選題なのは確かである。

☆その高校で僕の好きな作品は21久保紀貴作と24小林尚樹作であった。
凄く好きな作品があると順位が楽しみなのである。
結果は…。
ん?最下位とブービーじゃんかヨー(笑)。

★その久保作と小林作であるが、僕は小林作を評価していたのである。
久保作は46銀を消して43馬迄の一手詰を創ろうと発想したなら僕でも作れる。
発想の素晴らしさが素晴らしいのでケチを付けるために書いているのではない。
小林作の手順を作れと言われても、僕には成立させる自信はないと言いたいのである。
小林作は悪形であるが、僕は成立させる自信がない手順なので全く悪形には感じないし高く評価している作品なのである。

詰パラ詰棋校の解答正誤判定

詰パラ詰棋校の解答正誤判定は担当者の判断の違いがある時がある。
統一すべきだが難しい点もある。
そこで三輪案である。
三輪案は良くても悪くても採用される事がないので自由な事が書けるのである。

☆僕の考え方は詰ませていれば正解である。
解答募集は何を募集しているのか。それは作意手順である。
作意手順を解答すれば絶対正解。
作意手順が不詰でも正解になる。
理論的には不正解なのだが、罪悪感からか全員正解になるのである。
これ普通のパズルだったら作意解しか正解がないはずである。
詰将棋は正解の範囲が広い。
なら詰将棋原点は詰ます事である。
なら詰ませていれば全員正解で良いと思うのである。
評価は作意とそれに準ずる手順の解答者のみ有効にすれば問題ない事である。

☆で、その詰ませてているかの判断は簡単である。
詰方は詰みのある手順である事。これは当たり前。
次に玉方は最長手順の応手である事。
これで玉方の変化は全部読んでいる事の証明とする分けである。
この2点だけ適合すれば正解とする。
これで充分なのである。
まあ、補足はいるのだが。

★まず、変別があった場合短い手順を優先する。
つまり変別解はバツになる。
無駄合は最長手順ならしなくてはならないが、作意解正解なので、してもしなくても可にする。
ややこしくなりそうだが、作意は持駒が余らないし無駄合もしない事は分かっているので、解答者は余分な事を書くようなメンドーな事はしないから問題なかろう。

☆ここまでは実質的には現行と変わらない。
ここからが三輪案。
手数が同じなら持駒余りも余らずも同等とする。
持駒余りは変化するルールは創作上のルールである。
解答者にそれを要求するのはおかしいと思う。
乱暴のようだか、問題は作意解が唯一解でない事にある。
だったら美的感覚により作られているルールを解答者に要求する事こそ乱暴だと僕は言いたい。

★詰棋校は作意評価を募集している。
解答者は詰ます事を楽しんでいる(鑑賞物として解いている人も含まれる)。
これ両方満足させるには作意解答=評価集計、詰み確認=正解で分けるのが望ましいと思う。

詰将棋の解答は、唯一解でないパズル問題としては不完全なものを拡大解釈して正誤判定している。
どうせ拡大するなら原点である全変化を詰めさえすれば正解にするべきだと言うのが僕の考え方なのである。

詰パラ2019・7月号(結果稿)

詰パラ2019・7月号(結果稿)高校。

☆高校⑯石川英樹作。
最遠地移動(最隅)を不成でとは凄い。
後も巧く半期賞候補の得点が出るかと思ったら意外な低得点。
ほぼ2.7だから低得点ではないが、予想より低い点であった。
最遠地移動なら6筋より左に駒を置きたくないが、持駒なしではこれが限界だろう。
31角も残念だし、これらがないなら高得点で判断賞確実だが、作者名からこれで精一杯なんだろう。
これでも半期賞候補に入ると思うが、5月号は意欲作ばかりで半期賞予想する作品が難しい。

★高校⑲渡辺直史作。
これは好みのど真中。
実質5香連捨てをこんなシンプルな仕掛で出来るとは。
これだけ好みだと得点が楽しみになる。
えーと何位かな~。
ン➰ン?最下位ジャンかよー(笑)。
香を打つ理由は51金と65金の2枚だけ。
中合処理は23桂と25桂だけ。
これで出来るもんなんだね。
この収束は担当者の言うように10手目42玉の方が手順は良いが、それだと5連捨てとは言えなくなるので、出来たとしても反対である。
2・3筋は中合い処理の関係で駒を置けない。
収束手順は創れなさそうである。

キズか余詰か?

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詰パラ2019・7月号の結果稿を読んで疑問に思った事がある。
中学校⑱信太 弘作の5手目12銀成はキズか余詰か。
僕は余詰だと思うので修正図を考えてみた。
写真の図である。
発表図よりこうするべきだろう。

☆疑問はこれから書く事である。
内の柿木は2手目23角合の7手詰を答えて来る。
何故だ。写真の修正図もそうである。
これは大きな疑問ではあるが、実の疑問は次の事。
発表図で41飛、42金、43歩は玉方 41金、詰方 43歩に何故しない。
この図ならキズだと主張されれば許すだろう。
写真の修正図の方が良いとは思えないのである。
まあ、推敲不足だね。