コロナバ禍詰将棋作家のひとり言

一時的に新型コロナウイルスの事はがり書きます。

原型戻しの大流行

詰パラ2020・7月号は土曜日に届いたのである。
当然目玉記事は看寿賞選考会議である。
それを読んでいると「原型戻し」が大流行りなのである。
しかし、原型戻しの言葉は全く流行っていないのである(笑)。
「原型戻し」の言葉は誰も使わない事はいりす氏がTwitterでもツイートしていたのである。
実は僕は原型戻しの言葉を皆が使って欲しいとは思っていない。
原型戻しは作品の特徴を言うものではなく創作手法だからである。
作品の特徴を示すならもっと良い言葉があるはずだと思っているのである。

☆「原型戻し」とは何かだが、何かの理由で一つの事をする(ある駒の移動・変換・消去)のにそれをした後に他の駒を全て元に戻す事である。
他の駒が1枚でも違うと原型ではないので1枚でも違えば原型戻しではなくなる。
創作手法としては原型戻しがピッタリなのである。
でも作品の特徴とするなら1枚配置が違うのだから原型戻しではない。原型でもないし戻しの表現もへんである。
局面対比の方がまだピンと来るだろう。

★原型戻しだが1枚の動くだけで、他の駒は動かない場合は元に戻す作業はいらないはどうかだが、これも原型戻しである。
看寿賞の山路大輔作の17銀が成銀になる作品は他の駒は動かない。が、戻す作業は銀でしていて、他の駒は原型維持をしているので原型戻し手法なのである。
再度お断りを書くと原型戻しの言葉は皆が使う必要はない。これは直接表現する言葉なので僕は使っているだけなのである。

看寿賞候補に久保紀貴作「モーメント」も原型戻しである。46銀が消去され他の駒配置は1枚も変わらない原型なのである。
邪魔駒消去に原型戻しなっている作品はよくあるが、それは全て原型戻しになる。この手筋は当たり前のようによく見るので原型戻しになるのは大した事ないように感じてしまうが、実は邪魔駒消去を原型戻しにするのは優れた手法なのである。
久保作は原型に戻すのにと金が1周してくる凄い作品で僕が選考委員なら久保作に投票しただろう。
山路作の方が投票が多かったのは形だと思うが、悪形な久保作は悪形でしか成立しない手順なので、悪形だからこそ久保作の方が優れていると僕は考えるのである。

★原型戻しは基本1枚だけしか変わる事が許せない。
でも1枚は1組とする方が良いかも知れない。
それが短編コンクール50渡辺直史作である。
この作品は45馬と65馬が入れ替わり他の配置は変わらない。これも原型戻しとしたい作品である。
因みに僕が看寿賞選考委員なら一次投票で投票しているのである。二次投票は残れば投票しただろうが二次投票には残らないだろう。
この入れ替わりだが7月号結果稿詰四会作品展①津久井康雄作は52金と54銀の入れ替わりでこれも原型戻しになる。
ただ短コン渡辺作のように評価はしていない。52金は43や63に動いてしまうと52には戻れない。
渡辺作の馬角は動いても戻れる。このため創作難易度や不思議さが全然違うのである。
これは津久井作をディスるものではなく渡辺作を称賛しているのである。

☆結果稿でデパートの①▽(この文字変換は間違いか?)作は2手目と最終手で63銀→63成銀の原型維持。
②馬屋原剛作は初形と最終形で54歩→55歩の原型維持になっている。
これも原型戻し手法と呼びたいところである。
原型戻し手法であるが、原型とは盤面配置だけで持駒は減っているのは構わない。持駒減って詰方が有利になる事はあり得ないからである。
むしろ減れば減るほど良い作品になる。
持駒が変わる場合は飛が歩になる事も有利になる場合があるので原型戻しにはならない。
原型戻しになっていたとしても持駒変換と呼ぶべきで、どちらが優れているとかの話でなく別物だと考えたいのである。
持駒の件を書いたのは①②共に持駒も変わっていないからである。
僕は実は原型を最終手を対象とするのは原型戻し手法にはならないと思っているのである。
原型戻しとは何かの理由のため1枚以外は原型にするものである。
最終手だと理由は王手をするためになり、詰将棋で王手は絶対条件である。絶対条件は理由になってないと思うからである。
でも馬屋原作を原型戻しとしたいのは持歩があれば原型54歩→55歩は簡単に出来てしまう。
これを持駒を含めた原型にするのは死ぬほど難しいのである。
馬屋原作を見てこの狙いで昨日1日考えてみたが、最短手数条件ではこの手順パターンしかないとの結論が出た。
持駒が変わらない条件で、元に戻る不思議さが十分にあるので原型戻しになっていると思うのである。
ところでこの2作は手順の極限表現のために配置がおぞましいものがある。
こんな作品ばかりだと嫌になってしまうが、こう言う作品を積極的に採用するのがデパートであって欲しいので、この2作の採用は評価したい。
他の3作で上手く調和させてるし。

★他の原型戻しになっている作品は中学校半期賞の青木裕一作もある。
邪魔駒消去原型戻しだが飛打ち成捨てを2回繰り返すのが新機軸になっている。

☆中編賞の小林尚樹作は初形と22手目で64桂→54桂の原型戻しである。
この間に銀3桂2を消費しているのが素晴らしい。
持駒が減れば減るほど良いのである。
この作品の素晴しさは銀3桂2枚捨てるのに一見どれか省いても良さそうに見えるところである。
これ局面が変えれば3手目同金では詰み同桂になってしまう。
配置は作者の意思でこのこれだけ捨てないと成立しないようにしているのである。
一見見た事があるような手順であるが、原型戻しとして新しい事をしている作品なので、僕には中編賞はダントツでこの作品である。
残念なのは、これで看寿賞に関する記事を書く時に、看寿賞受賞作より小林作の方が好きな作品だと書けなくなってしまったのである(笑)。

★この記事の主旨は僕は前々から原型戻しは創作手法として面白い事を書いていた。
原型戻しの言葉は皆に使って欲しいとは全く思っていない。が、創作手法として原型戻しを結構昔から良いと言っている事を自慢したいのである。