コロナバ禍詰将棋作家のひとり言

一時的に新型コロナウイルスの事はがり書きます。

詰将棋創作で一番大事な事

詰将棋創作で一番大事な事とは何か?
それは簡単である。
しかも一言で言える。
「自分の好きなように創る」である。

☆二番目は何か?
それも簡単である。
「自分の嫌いな事はしない」である。

詰将棋の面白いのはある人の好きな事と嫌いな事が一致している事があったりする事である。
人は好みが真逆なのである。

☆好きなように創ると書いたが、実はこれは最も難しい。意外に好きなように出来ないのが詰将棋創作なのである。
なのでほとんどの作家は嫌いな事にならないように創っている場合が多いのである。

★こうなるのが嫌いの一番人気は何か。
嫌いな事の一番人気と変な日本語であるが、それにツッコミはなしとして一番人気は駒数が多い事だろう。
つまり駒数を増やさない事を第一に考えている作家が多い。
ほぼ全員と言っても間違いないかも知れない。
でも全員ではない。
僕は全く駒数が少ない方が良いとは思ってないので全員ではないのである。

☆僕の作品で目指している点はただ一つ。
詰上がりに詰方の駒が効率良く働いているかである。
そうなっているなら、極論すれば手順がどんなにつまらなくても、又は初形に駒数が多くても構わない。
逆にどんなに手順が良くても主要駒が詰上がりに働いてないならそれは僕の作品ではない。
それが僕の作品である絶対条件なのである。

★詰上がり詰方駒効率が絶対条件であるが、道中もそうなるように創るのが三輪作品である。
詰方と書いたが玉方駒はどれだけ多くても構わないとの考えである。
勿論、その手順での最少は目指す。
僕は凌ぎには自信があるんで普通に創っていれば、その手順の最少にはなっていると思う。
その手順にするには駒数がどうしても必要になるならそれは構わない。
否、どうしても駒数を要するになら、そうしなければ出来ない手順なのでより面白いと言う考えなのである。

☆次に嫌われるのは駒取りだろう。
これは僕も大嫌いである。
ただ僕には詰方駒効率絶対主義があるので、それに反しないための駒取りはいとわないのである。

★詰方駒効率絶対主義を守るために人の嫌いな事をいとわないのが僕の作風である。

☆僕の好きなのは捨て駒である。
組み合わせを考えて面白い手順にするのが僕の作風であるが、単純に捨て駒が連続するだけでも悪くないと思っている。
僕が詰将棋が好きになったのは詰まして気持ち良いからである。
連続捨て駒はそれがある。
だから捨て駒が連続するだけで満足である。

★こないだ風みどりさんのTwitterで僕の作品で曲詰だけは感心しないとツイートしていた。
僕の作品は人の嫌う事を平気でしているので、そう思う人がいても不思議ではない。
僕の曲詰では狭いところで捨て駒が連続する第一としている。
余裕があれば面白い手順も出来るが、所詮条件作なのと、自分の作品は詰上がり詰方駒効率の絶対条件がきついので、狭いところで捨て駒を連続させる事で精一杯になる事がほとんどである。

☆曲詰において狭いところで捨て駒を連続させるとどうなるか。
曲詰は詰上がり駒数が決まっている。
なら捨て駒が増えると使用駒数が増えるのである。
捨て駒が増えると駒数が増える。
これ僕はどう考えいるのか。
僕は捨て駒は多いほど良い→捨て駒の数だけ駒数が増える=駒数が多いほど良い作品となる。
つまり僕は単純に言うと駒数が多いほど良い作品になると思って創っているのである。
まあ、単純ではないのはあるが、駒数は少ないほど良いとする風みどりさんだけでなく世間と逆行しているのである。

★風みどりさんは曲詰だけは感心しないとは逆に言えば普通作は認めていると受け取れる。
曲詰は一種の条件作で、その中で好きな事はしている。
でも所詮は条件作で完全に好きなようには創れないのが曲詰である。
普通作は完全な自由である。
僕は本質的には自由に創っている。
それで作者の主張を感じるようには創っているつもりである。
僕は曲詰作家ではない。
オールマイティーだとは思っているが、本質的には生粋の短編作家である。
風さんのあのツイートは曲詰批判より、僕の本質的なものを褒めていると思い、意外に嬉しいツイートであったのである。