コロナバ禍詰将棋作家のひとり言

一時的に新型コロナウイルスの事はがり書きます。

柳原裕司氏

★暁将棋部屋増刊号を読んでいるが、詰将棋専門誌ではないようだ。
でも詰将棋欄は確立してはいないが力を入れているようで、詰将棋は充実して行く予感ありである。

☆この増刊号には柳原裕司氏のインタビューがある。
柳原裕司氏は僕と縁が深いはずなのだが、実は余り交流がない。

★柳原氏の詰パラ編集部は僕の家から10㎞くらいしかなくメチャ近い。
それなのに編集部に行ったのは数えられるくらいである。
それと将棋を指した事は1回もない。

☆僕は中学校1年から将棋を本格的にやっていて、その頃は岐阜県の将棋界は大垣市が最もレベルが高くて岐阜の強豪とか興味がなかったのがある。
岐阜で詰将棋をやっている人で、篠田氏の名前を聞いた頃は僕は将棋をほとんどやらなくなっていた。
もっとも将棋も詰将棋もかなり篠田氏が上であったであろう。

★そのインタビューに同じクラスに後に詰パラで半期賞を受賞するA氏と将棋を指していたとあるが、これ誰なんだろう。
そのA氏とは中学校3年まで将棋を指していたとある。
この辺では当時、将棋道場は大垣に1件しかなく、将棋を本格的にやるなら僕と指しているはず。
まあ、そのA氏は将棋も詰将棋やめてるようだが。

☆柳原氏がもっと将棋を強くなるつもらなら一緒に将棋を指したはずだが、二人共詰将棋に行く事になる。
僕は将棋はその頃揉まれたので、中終盤の実力はしっかりついた。
序盤を全く勉強する気がないのと、考えないと指せない性分なので切れ負け将棋は全くダメなんで将棋を止めたのは正解なのであった。

★で二人共詰将棋に進むのだが、二人の共通点は詰将棋を創るのが好きな事。
詰将棋は鑑賞するのも好き。
さて、この二人が最も向かない仕事は何か?
詰将棋雑誌の編集なんだよな。
詰将棋雑誌の編集は詰将棋が好きなのが一番だけど、詰将棋雑誌の編集は詰将棋を創るのが一番好きでな人は最も向かない仕事になる。
好きな事は好きなようにやってこそ。
詰将棋雑誌の編集をやっていては、やりたい時に好きなように出来ないんだよね。
僕が余り柳原氏の詰パラ編集部に行かなかったのは、詰将棋を創るのが一番好きな人間が編集を手伝える分けなく邪魔になるだけだから行き難かったのである。

☆その内に柳原氏は大阪に行く事になるが、僕はその頃には詰将棋も将棋もほとんどやらない状態になっていた。

★そして、柳原氏と僕も詰将棋から遠ざかる事になる。
僕は柳原氏と一番が縁がある人間なはず。
しかし、ほとんど交流がなかったのである。
でも二人共結局は詰将棋が人生になり、詰将棋に対する気持ちも同じのように思える。
僕と柳原氏とは交流こそ少ないが、縁を最も感じる人なのである。