チョー一流作家のひとり言

詰将棋に関する事だけ書きます。

観る詰将

★「観る将」と言う言葉があるのを知った。
インターネットで調べたら、自分は将棋を指さず観て楽しむ人らしい。
僕は最近将棋は指していない。
このブログを読んでいる人には理由が分かるだろう。
そう、将棋が強過ぎるからである(笑)。
かと言ってプロ棋士棋譜を並べてもいない。
観てもいないのである。
これは観ない観る将になるのか、そもそも観る将ではないのか?

将棋はある程度実力がないと、プロ棋士の将棋を観ても分からない。
指さずに観て楽しむのは難しいと思う。
ならば、指していた人が指さなくなり観る側に回ったのか?
そんな事はないと思う。
余り将棋が分からなくても、観て楽しむ人が増えたのだと思う。
これはインターネットの普及が要因としてあると考えられる。
それは大変喜ばしい事だと思う。

☆これが詰将棋だとどうか。
解かずに観て楽しむ人は「観る詰将」となるかな?
解図力が低いので、解かずに観て楽しむ人が増えるのは作家として嬉しい事である。
だが、解く力がある人が解こうとせず、観る側になる。
これはちょっと寂しい。
作家は解く力のある人には少しでも多くの人に解いてもらいたいものである。

★僕の解く力は、詰キストの中では平均的なレベルだと思う。
将棋と違い強過ぎる事はないのである(笑)。
だが詰キストの平均的レベルと言うのはかなり高い。
よくある筋なら、形から瞬時に分かる。
詰将棋の苦手な将棋の高段者がよく読まないと解けない問題でも、見た瞬時に解けたりする。
詰将棋をやらない人から見れば、詰キストは神レベルにある。

僕の詰将棋を解く力はなんやかんや言っても実力者なのである。
なのに最近はと言うより元々だが、解く事をしない。
完全に「観る詰将」である。
要は作家にウエイトがかかっているからだ。
そして、詰将棋作家には「観る詰将」タイプが多い気がする。
詰将棋は[創る=供給][解く=需要]とするなら供給過多の世界である。
そのバランスを少しでも良くするために、詰将棋作家は解答者も兼ねる必要性があると思うのである。

☆この記事は自分の事を棚に上げる事が出来る僕だから、書く事が出来る記事なのである(笑)。

★言い訳をするなら僕は作品を創るのに非常に時間がかかるタイプである。
中々解いている時間がない。
なので、せめて今は短編コンクールだけでも解答を出す事にしているのである。