コロナバ禍詰将棋作家のひとり言

一時的に新型コロナウイルスの事はがり書きます。

詰将棋で自分の作品でこうなるのが嫌いなもの

詰将棋を創っていてこうなるのは嫌だなと思っている事は作家ならあると思う。

例えば、初手桂打ちから初めるのが嫌いな人とかである。
ちなみに僕は初手桂打ちは大好きで、なるべく初手桂打ちから初めたいほどである。

僕が嫌いなのは端に桂香を置く事だが、これは初めから置いて創るのが嫌いなだけで、その手順の成立でそうなるのは全く構わない。

持駒4枚以上になるのが嫌いな人もいるだろう。
これは僕は種類による。
桂香歩の持駒は多いほど好きである。
飛角金は多いのは嫌いである。
銀は中立で飛角金があれば多いのは嫌で、桂香歩に入れば多くても構わない。
僕はこの持駒が種類によって嫌いな感じになる。

☆さてこの記事の本題に入ろう。
僕が自分の作品でしたくない事は持駒にある。
持駒 飛角金になるのが、虫酸が走るくらい嫌いなのである。
他人の作品は構わない。
自分の作品がそうなるのが嫌なのである。
何でかだが、僕は創作初期の頃ほとんどの作品が持駒 飛角金になっていたのである。
手順は飛角のどちらか、又は両方捨てて金打で詰ます作品になっていたのである。
つまり、ワンパターンだったのである。
それでワンパターン脱却にはまず持駒 飛角金にならないようにと心掛けるようになった。
そう常に思うようになっていたため持駒 飛角金が虫酸が走るくらい嫌いになってしまったのである。
嫌いなのは飛角金の1枚ずつなのだが、飛角金類の持駒が沢山あるのは好きでない。
銀桂香歩は打捨ては小気味良くて好きなのだが、飛角金はパンチはあって良い時もあるが、概ね大味。
飛角金は盤上の駒にして捨てたい。

それの好みもあって持駒の好き嫌いが僕にはあるのである。