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詰将棋作家のひとり言

詰将棋に関する事だけ書きます。

盤上駒余り禁止

この記事の内容は一度書いているのだが、削除予定と宣言した記事に書いたため改めて書くものである。

詰将棋には詰上がりに持駒が余ってはいけないと言うルールがある。
これは創作上のルールであり、解くのには手数が同じ場合だけ駒が余らない方を選ばなくてはならないだけである。
例外として、現在は2手長駒余りを変化とするルールがあるが、これは無意味どころではなく、あってはならないルールなので廃止しなくてはいけないのに廃止に中々ならない。
これに関してはこの記事の主旨ではないので流して読んでもらいたい。

☆創作上のルールとして、詰上がり持駒余り禁止ルールに僕は新たなルールを加えたい。
それは詰上がりに盤上の詰方駒余りを禁止するのである。
[詰上がり盤上詰方駒余り禁止]とは詰上がりに役に立たない詰方の駒をなくす事である。
ルールと書いたが、創作の心掛けと解釈して欲しい。
ルールと書いたのはそれくらい重要だと思っているからなのである。

★これが何故重要なのかは、持駒余り禁止の精神は盤上駒にも適用されないと意味がないからである。
持駒余り禁止ルールは何故あるのか。
それは戦力をキチッと全部使い切るのが良いからである。
どうして戦力を使い切ると良いかは、僕は説明が下手なので省略させてもらう。
とにかく良いのである。
何も書かないと話は進まないので、僕の率直な利点は、気持ちが良い事である。
皆さんは自分の考える利点に変えて読んで欲しい。
そこで折角持駒を使い切ったのに盤上に必要のない詰方駒が余っていたらどうか?
これちっとも気持ち良くない。
だから詰将棋は駒余り禁止は持駒だけでなく、盤上の詰方駒を余してはいけないのである。
これが僕の詰将棋の考え方である。

☆この詰上がり盤上詰方駒余り禁止は1枚も余ってはいけないのではない。
その手順では最少。その作品の狙いを生かす手順において最少と言う意味である。
これは今さら書かなくても、皆が既にそのように創っている事なのである。
簡単に言うとこの記事は書いても意味がなかったのである(笑)。

★実を言うとこれからが本題なのである。
詰将棋の面白さは本来は手順である。
「おもちゃ箱」さんのくるくる展示室など手順の面白さを抽出したもの。
構想作など論理が面白いもの。
これらは詰上がり盤上駒余り禁止は適用する必要はないと考えている。
ただし、その手順を構築するために作意に必要のない駒は減らさなくてはいけない。
まあ、これは詰将棋作家なら、皆が心掛けている事である。作意成立以外の駒が多くなるのは、心掛け不足ではなく、素材か作者の腕によるものであろう。

趣向作には手順自体が捌きの趣向(黒川さんが得意)と手順は捌きではない趣向があるが、後者の趣向作。それから論理的構想作の好きな人はフェアリー・推理将棋・プロブレムが好きなはずだ。
逆に詰上がりにおいて無駄駒を特に嫌うタイプは余りフェアリー系は得意でないと考えている。
これは僕がフェアリー系やプロブレムが全く面白いとは思わないからである。
こう書くと語弊があるので、僕は詰将棋が好き過ぎてフェアリー系がそれほど面白いとは思わないと書き直す必要がある。
僕は詰将棋はフェアリー・推理将棋・プロブレムなどより思考の楽しさや創作は劣っていると思っている。
良い作品を創るには劣らないが、詰将棋では数が出来ない。
プロブレムで10作出来ても、詰将棋では1作しか出来ない。数的なもので劣っていると感じている。
その逆に気持ち良さの追及では、詰将棋では100倍優れていると思っている。
だから僕は詰将棋は10分1劣っていても、100倍優れているので10倍優れている。
僕には詰将棋より好きなパズルはないのである。
これは僕の偏見である。

☆僕は自分の作品では一番大事なのは、駒を余さないと思って創っている。
これさえあれば、何の妙手もいらないとさえ思っているのである。
詰将棋は妙手がなければつまらないかと言うとそうではない。
ピタリとした戦力で詰上げるには技が必要である。
何の妙手もない作品でもピタリとした詰上がりになるなら、技が決まってこそ出来るもの。
技が決まる快感があれば、詰将棋は妙手がなくても詰上がりがピタリと決まれば十分なのである。
ただし、このパターンはどっかで見たはいけない。
必要なのは技の新しさでなく、その技を繰り出すピタリ感と構成である。
この構成面で詰将棋創作は無限である。