コロナバ禍詰将棋作家のひとり言

一時的に新型コロナウイルスの事はがり書きます。

無駄合

僕は無駄合の定義付けは必要と思ってはいる。
だがそれは難しい事のようでもある。
無駄合になるかならないかの解釈が余りにも違い過ぎるからである。
余りにも違うと思ってはいたが、前記事で某ブログとした鈴川君の「my cube」を見て驚いた。
あの図は無駄合を説明するのに最も適した図と思っていたのに、あれが無駄合でないと言う見方があるのが驚きだった。
合駒をする→取られる→逃げる。
その結果どうなるか?
手順すると15龍、14金合、同龍、22玉、12龍である。
15龍に対し22玉は12龍以下。
14金合、同龍、22玉にはその12龍以下全く変わらない手順で詰むのである。
これを無駄と言わず何と言うのだろうか?
これを有効合と言う人は何故有効合と言うのか考えてみた。
別に有効合と言わなくても、有効合の可能性がちょっとでもあると思っているなら、僕からすると有効合と言っているのと同じである。
僕は100%の無駄合と思っているのだから。
有効派の人は合駒をした時点で無駄合かどうか判断しているのが要因と僕は思い当たった。
僕は合駒の時点ではその合駒は有効合か無駄合か判断出来ないと思っていたし、これが当然だと思っていた。
僕の理論では合駒は合駒をした時点では全ての合駒が有効合と考えている。
その方が理論的とも思っている。
無駄合とはその合駒が効力がない応手をすると無駄合になると考えた方がスムーズに理解出来ると思うがどうだろう。