コロナバ禍詰将棋作家のひとり言

一時的に新型コロナウイルスの事はがり書きます。

〈詰パラ3月号到着〉

詰将棋
★今日、家に帰ったら詰パラ2019・3月号が届いていたのである。
そこで早速書いてみたい。
……2月号についてまだ書いてなかった事を(笑)。

詰パラ2019・2月号(結構稿)デパート③
発表後でも疑問に思っている事がある。
この単純な桂打ち、馬引きの趣向が前になかったかである。
桂を捨てないと下がられと困る。桂捨ての理由は簡単なのにである。
ただ浮かび難い理由はある。それは桂打ちには上がれる手があるからである。
馬を引いて捕まっている意外に気付き難いって事である。

★それともう一つ困るのが収束がつかない事である。
14手目は15玉ではなく27玉、19桂、同とからさてどうするかが本来の収束の付け方である。
歩を持たせて28歩、18玉、45馬で詰むのを、馬引きでは詰まなくすると、18桂に上がられて詰まない。
変に利きを増やすと簡単に余詰で、相殺するのも上手く行かない。
ほとんど細工が利かないのである。

☆細工が利いたとしても15玉の変化が長いのではないか?
桂を使って消費してるし、下がられるのは序盤は狭いが段々広くなっているのである。
詰むかどうか確認してみた。
すると一旦桂を打ち、跳ねて最後には消える。
余詰がなければ作意に出来なくもないなって手順で詰む。
検討してみると最終手以外にキズもない。
一応作品に出来そうだとなった。

★残念なのは23手目54馬ではなく12に捨てたいところである。
それには桂がもう1枚いる。
もう桂がない。それ以上に桂があっては余詰む。
でも12馬にして収束させる事は可能だと思った。
要は桂を都合の良いところで合駒で稼げば良いのである。
その図は創ってみた。
とても発表出来る図ではないので秘密である。
もし、自分も出来たと言う人があればコメントを。
詰将棋本を進呈させてもらうのである。

☆発表の図は苦労せず得た図で、本来は27玉、19桂を作意にしたいとは今でも思っている。
その思いと同じくらい無理だとも思っている作品である。

〈詰将棋〉詰パラ2019・2月号(結果稿)大学13

詰将棋詰パラ2019・2月号(結果稿)大学13

f:id:katsuaki3r0429:20190226155752j:plain

★写真の図は大学発表作ではない。
スマホ詰パラNo.10971の作品である。
30手目金合の非限定を指摘されたが、よく覚えがないのだが、全くの見落としではないのである。
この形、何を貰っても13に打つしかない事に気付いて創ったのがスマホ詰パラNo.10971であった。

スマホ詰パラ作品だが、22に香を打つのだが、後に何を持っていても13に打つしかない形が見えるのだから、先に香を打っても妙手ではない。
むしろ歩を打つ方が妙手だろう。
そんな思いがあったので最後にこの香を捨てる手順にしたい。ただそうしたかっただけの作品である。

スマホ詰パラNo.10971はどうでも良い。
大学の作品は今思うに飛(香)合いでも早い順はないかな。
金合は単なる非限定だが、飛香合は離して打つと合駒が余る順があるだけ罪が重そうである。

☆この部分は当時も今も考えは同じ。
非限定がある事より手順が見苦しい。
目を瞑って欲しい。
結果を見ると目を瞑れる訳ないけど、大目に見てもらえた気はしているのである。

☆この作品、EOGさんが某ブログにコメントしていた75角の限定打の意味付けが面白いと思って作品にしてみたものである。
次に面白い手順がつながるようにしていて、次から次へと好手が出てくると感じる作品になっているとは思っているのである。
ただ収束のつなぎがどうしようもなく酷いものになってしまった。
でも収束ダラダラは僕の作品では許されないので仕方ないのである。

〈詰将棋〉詰パラ2019・2月号表紙

詰将棋詰パラ2019・2月号

詰パラ2月号の表紙は中学校担当の太刀岡 甫氏である。
いつも表紙の言葉は誰が何を書くのか楽しみにしているが、今月は特に感心したのである。
それは「返送作業を丁寧にこなす担当者でありたい」との言葉である。
僕が担当者に最も望んでいる事は良い解説ではない。これが何よりも大事。
作品には作者の思いが詰まっている。会心作なんてそう出来るものでない。
大概の作品は不出来なもので、素材上仕方のない欠点とか、やりたい事をやるとどうしてもそうしかならないものもある。
それに丁寧に向き合ってくれる担当者が僕の理想の担当者なのである。

☆表紙の言葉を読んで、太刀岡氏は僕の理想の担当者になる予感がしているのである。
勿論、これはおだてておき僕の作品の採用率を上げようと思って書いている事なのである(笑)。

★僕のブログは本気で書いている事も冗談と思われる事があるが、これから書く事はマジで書く事である。
現在、詰パラの担当者に太刀岡さんの言葉と真逆の担当者がいる。
作品の扱いが粗末過ぎる。
投稿した作品はいつ採用されるか分からない。(感じの良い作品は他の担当者と変わらず早い)
2年以上経って採用とか返送は困る。
投稿から1年以上経てば早期採用計画に入れる。
それが出来ない作品は早目に返送する。
これくらいは担当者ならしてもらわないと困る。
今までの事は良いので、これからこれが直らないようなら担当はやめて欲しい。
本人が分かってないと思いここで苦言を呈しておきたい。

〈詰将棋〉詰パラ2019・2月号採用作

詰将棋詰パラ2019・2月号

詰パラ2019・2月号の採用作は小学校と中学校と大学院の3作採用されていたのである。
嬉しい事であるが心配もある。
小学校と中学校は他に投稿している作品はないのである。
中学校の9手11手詰に手元に在庫はなくはないが特に発表したい作品はなし。
小学校に至っは在庫すらない。
来期は何か発表出来るだろうか。

☆大学院は元々守備範囲でないので、完成したら直ぐ投稿している。
選題の言葉を読むと圧倒的在庫難のようだ。
これは駄作を発表するチャンスなのである。
駄作と言っても出来そこないの意味ではなく、自分では面白いと感じて創ってはいるがタイシタ事がない作品の意味である。
僕の創る長編はどれもそんなようなもので、これは駄作を投稿するチャンスなのである。
……と思うのは甘い。
在庫難を唱えば良い作品が沢山投稿されて来て、反って駄作は採用されなくなってしまうのである。

〈詰将棋〉詰パラ2019・2月号

★ブログの更新が久しぶりになってしまったのである。
ブログは更新しない癖がつくと中々更新出来ないものなのである。
……あっ、これは鈴川君のmy cubeの事なのである。
久しぶりと思ったのは冗談でこのブログは死にと思っていたので、更新されて面食らっているところである。
これからはまめに書いて欲しいものである。

☆人の言って自分はどうなのかだが、サボり癖がつくと更新するのがメンドクサクなる。
2月号は先週の木曜日に届いていた。
流石に1週間以上空けると嫌になるので、そろそろ更新しなくてはならない。
と言う事で週末に2月号について書くようにするつもりなのである。

〈詰将棋〉詰将棋の魅力

詰将棋

詰将棋には色んな魅力がある。
そして、人それぞれどこに大きく魅力を感じているかは違う。
僕はどこに魅力を感じているか。
それを書いてみたい。

詰将棋の好きな人はパズルが好きな人が多い。
僕はパズルは好きかと言えば好きだろう。詰将棋はそのパズルの中でも特に面白いから好きだと言うならそれは違う。
僕は詰将棋にはパズルにはない魅力があるから好きなのである。

詰将棋に感じているパズルにない魅力は、詰ました時に詰方の駒が効率良く働いている事である。
効率が良いなんて表現は生ぬるい。
詰方にとって都合が良いと言いたいような詰上がりになる。
まるでお互いに協力して都合の良い駒だけ残したような詰上がりになるのである。
玉方は詰まないように抵抗してるのにである。
玉方は詰まないように抵抗してるのに、最後には必要な駒が必要な働きしかしない。
僕はそれが魅力で詰将棋が好きになったのである。
そして、それに芸術のような美しさを感じているのである。

☆僕はこのブログで長編作品の機械趣向が門外漢と書いた事があるが、機械趣向(僕が勝手に呼んでいる言葉だが意味は察してもらいたい)は都合の良い駒だけの詰上がりにはなり難いので僕には魅力がないのである。
それでは単なるパズルである。
面白いパズルとは思うが、僕が詰将棋に感じている魅力はないのである。

★他に打歩構想物も趣味じゃない。
僕は純粋に玉方は詰まされないようにするのが好きだからである。

詰将棋ではないが、詰パラにはフェアリー・推理将棋・将棋パズルとかが載っているが、それらは単なるパズルでしかない。
詰将棋に感じている魅力はないので趣味じゃない。
誌上にない方が良いと思ってはいるが、あるのは良しである。
食べ物と一緒で好きな物だけ食べるのは良くない。
パズル自体は好きなんで、それも面白い。
ほどほどに他の物を食べればより詰将棋も美味しくなるものである。

★僕が詰将棋の魅力に思っている事を書いたが、必ずしもそのように創られているものばかりではない。
手筋物はそうならないといけないので、そうなってないのは腕が悪い。
それは厳しい評価をするとして、初めから別の面白さを求めたものはどうか。
僕は好きじゃないので解答では高い点は付けない。
でも面白いと思う人は高い点を付けるだろう。
極端に付ける点が違う。
詰将棋には人それぞれ魅力に感じるところは違うのである。
これが詰将棋の最高の魅力かも知れない。

〈詰将棋〉YouTube将棋動画

詰将棋
★去年、スマホのタッチパネルが一部分バカになっているのに気が付いた。
よく使うはい・いいえにかかっていて次に進めない。これは不便なので携帯保証で新しく替えてもらった。(タダではないが保証で安く)
するとTwitterは見れるようになった。
しかし、前の自分のパスワードとか全く覚えていないので自分のが使えない。
新しく作る気はないのでTwitterは見るだけにするつもりである。

☆僕はYouTubeを色んなジャンルを見ている。
将棋関係は余り見ないのだが、アユムとか言う人のネット対戦動画は暇潰しに見たりする。
そこで詰将棋は実戦に役に立つかどうかを話していたのである。
僕は面白い事を言っているなと思っていたが、Twitterで解答欄魔さんや不透明人間さんか反応していたのが面白い。

★面白いフレーズは詰将棋を野球に例えて「死んだ球」と言っている。
僕は分かって言っているのかと思ってしまった。
野球の死んだ球とはどう言う球なのか分かっているのかと(笑)。
僕は詰将棋には詳しくないが、野球には詳しいので分かっているけど。

詰将棋は持駒が余らないように出来ているから、そうならないように読むので、死んだ球を打つのと同じって事らしい。
そうなら試合前のバッティング練習でバッティングピッチャーの球を打ったって何のためにもならないけどね。

☆まあ、言いたい事は分かる。
詰将棋はある程度まではやるのは効果あるけど、やり過ぎは逆効果だと言いたい分けだ。
それは何でも同じ事。
実際に詰将棋はある程度以上にやると実戦が弱くなる事はあり得る話である。
でも弱くなったのを詰将棋のせいにするのは間違いだ。自分の勉強方法が悪いのに。

★ここで、僕の理論を述べたい。
極論をするなら詰将棋をやると将棋が弱くなるとか言うのはズレている。
詰将棋と将棋は全く違うものだからである。
僕に言わせれば、詰将棋をやると野球が上手くなるか言っているのと同じ。
否、それは的を射ているかも。
詰将棋をやれば読む習慣がつく。バッティングも配球が読めたら打率も上がる。詰将棋をするとバッティングが間違いなく良くなるのだ。

詰将棋とは自分の都合の良いように詰むようになっているものである。
実戦は都合の良いようにはさせてくれない。
この点、真逆である。
だから役に立つ分けない。
結論は詰将棋は実戦に役に立たない。
……あっ、アユム氏と同じ意見になってしまった。

詰将棋はどう実戦に役に立つか。
一つ勘違いして欲しくないのは、詰将棋は窮地を救うものではないのだ。
詰将棋を本当にしっかり勉強したらどうなるか?
それは勝ち将棋を勝てるようになる。
それも必勝の将棋を勝てるようになる。
必勝の将棋とはどんなに下手を打っても勝てる。
それを勝てるようになっても意味ない。
つまり詰将棋をやっても意味ないのである(笑)。

☆……だから意味ないと思っている人は上には行けないんだよな。
勝てる将棋をどう勝つか。
実は上を目指す人はこれが何より大事なのである。
詰将棋をしていると良い勝ち方が分かって来る。
詰将棋は本当に上を目指すなら、最高の勉強法なのである。
あるレベルでは詰将棋をやると弱くなる事もあるが、最高峰を目指すものには詰将棋は最後の究極の勉強法なのである。
詰将棋のバカにしてたらその人は結局は頭打ちだと断言しておこう。