コロナバ禍詰将棋作家のひとり言

一時的に新型コロナウイルスの事はがり書きます。

小学校は在庫難?

★小学校が在庫難だと何かで見たのである。
最近ちょっとだけ見れるようになったTwitterだったか?よく覚えがない。

☆深刻な在庫難なら今一の作品でも採用されるだろう。
ちょっと良い作品なら半期賞候補になるかも知れない。(取れるとは言ってない)
どれを投稿するかは在庫次第である。

★………うーん?7手詰の在庫は1作もないじゃんかヨー(笑)。
ネタみたいな話。
僕なら在庫があってもネタで書きそうだが、本当に在庫がない。
今年は短編コンクールは7手詰が予想されるので、そろそろ創っておかないといけないんだけどな~。

バカより分り易い言葉はない!

★僕のスマホTwitterが読めなくなっているのだが、最近少し読む方法を発見したのである。
ブログ→Twitter欄→そのアカウントのおすすめユーザーで進入するとそのユーザーのツイートは読めるのである。
おすすめユーザーは同じ人で回っているので、みたいと思う人のは自由に読む事は出来ないが全く見れないと言う事ではないようである。

☆ところで以前の記事で看寿賞選考委員はバカだと書いたが、これ以上分り易い言葉はない。
しかし、これは間違っていた。
ここは自分は悪く思われないように言葉を選ぶ。これが良い大人のする事なのである(笑)。
あっ、これ特定の人のツイート批判じゃないよ。
自分は悪く思われない事に最大に気を使うのは日本の文化である。悪い文化なんだけど、日本の文化には世界に誇れる素晴らしいものが沢山あり、常に相手の事を思いやる気持ちがあり、自分の事を悪く思われないようにするのは、相手に対する思いやりの変形でもあるので、日本の文化でもある。

★ここに二人の人がいる。一人は考えても分からない人、もう一人は考えれば分かるが考えない人。
さてどちらがバカか?
考えても分からない人である。
じゃ、バカだと言っても良いのはどちらか?
考えても分からない人にバカとは言ってはダメだよね。
考えれば分かる人はどう?バカと言ってやった方が良い。むしろ言うべきだ。
看寿賞選考委員はどうか?
考えれば分かる事を考えてない。だからバカなの。

看寿賞選考委員が一つこれは考えなくてはいけない事がある。
現在、看寿賞は年6作受賞かと思いきや、該当作なしとかで差があり過ぎる。
これ大問題としなくてはいけないのに平気とは何も考えてない。
年によって豊作なら多作受賞になり、不作なら該当作なしになるからと言うのか?
それは正論でむしろ差があるのが正常である。
しかし、本当に豊作=多作受賞、不作=該当作になっているのか?
検証してるのか。考えてもいないだろう。
仮にそうだとしても毎年各1作受賞が基本なはずだ。
少なく共、極端な差が出ないようにするべくだろう。
選考システムの検討は考えない。
何も考えちゃいないんだよね。

★実際に検証したら今の選考システムが原因で起きる問題なのに気付くはず。
結論から言うと第2次投票のシステムが悪過ぎるのである。
現在、第2投票で全てが決まる。
その投票一人1作でも良いし、2作でも良いし、3作でも良い。
……これで決まるのに何このドいい加減な事。
これおかしいと思ってないのはなんで。
このシステムは協議をして決定投票なら1人1票で良いが、それでは該当作なしになり易いから3票までにしたのだろう。
システムとしては理想かも知れないが、協議が出来てないのだから、問題が起きる。これ考えたら分かる事だよ。

☆僕は協議が出来てないのは問題としていない。
協議で決定するのは無理。協議すればするほど水掛論になるばかりである。
協議はある程度選考理由だけで十分で、深く協議したっらアラ探しになってしまう。
現状のシステムの見直しをするなら、バカと言うのは撤回しなくてはならないが、それをしないなら本当のバカだ。
一応、全国大会の挨拶で吉松事務局長から看寿賞選考方法の話し合いがあったとあるが、僕はこれに期待しているが、期待して良いのかね~。

★今の看寿賞選考方法はボロボロの余詰作だが、実は簡単に修正可能なので、僕の修正案を提案しておく。
第2次投票は一人1位票・2位票・3位票を投票する。
採点は1位=3点・2位=2点・3位=1点とする。
それで最多得点作を受賞とする。
不作なら1位=該当作なしの投票をする。
該当作が最多得点の時だけ該当作なしになる。
そして、1作が抜けていると思えば2位作と3位作はなしとする事が出来る。その旨を書く事にすれば計算上で4点を投票した効果になる。

これは名案ではなく、修正するだけなら簡単な余詰を修正してない余詰作を見るような思いなのである。

2018・7月号(結果稿)デパート⑤

【2018・7月号(結果稿)デパート⑤】

★この趣向が新しいか心配だったのであるが、ベテラン解答者2人が初見と言っているので投稿した価値はあったようだ。

☆趣向回数は桂4枚と最初はと金代用として片道5回が最多になる。
実際には84桂に81玉の形に桂がないとダメなので、1枚の桂は趣向には使えないので一応片道4回のこの図で最多である。

★可能性としては最後の1枚も趣向に使うとか、合駒で再生するとかなくはないが、僕は趣向作家じゃないので、この軽い仕上げで満足なのである。

☆尚、91香はなくても作意は成立する。
ないと4手目と24手目が72玉が非限定になり、これはかなり味が悪いと思う。

★91香を置いても36手目52玉が非限定で、ちょっと残念だがこれは仕方ないかなと思っているのである。

ズサンな29年度看寿賞選考

★今年の看寿賞選考はズサンであった。
まあ、もっとも毎年ズサンなのだが、今年は書くネタがあっただけたが。

☆まず、長編は満票?
本当にズバ抜けているのか。
僕はこの作品並べてもいない。
ズサンなのは僕なのである(笑)。
僕以上にデパートの解説がズサンだと思うが。
僕は素人なのであの解説では全然分からなかったのだが。

★短編は上谷作は看寿賞にはちょっと弱い気がするが、まあ良いでしょう。
問題は武島作が3作候補になっている事。
毎年武島作は受賞してもおかしくない作品が3作くらいあるのでむしろ正常である。
高レベル安定が受賞を逃している原因に思えてしまう。
今年の武島作は3作共色が違う。
例年ならどれも良いので分散されるのだが、今年の作品はハッキリ好みが分れるので、僕には今年こそ受賞させようとした決戦投票に感じてしまったのである。
それはそれで良いと言うか僕には好ましい事である。武島作品のファンなんで。

☆問題なのはどの作品が受賞作になるかである。
で受賞作なんだけど、この作品は武島氏本人が自作でベスト10を選んだらこの作品は絶対に入れない作品である。
この作品を授賞すると看寿賞は武島作全般より下になってしまう。
それは事実なんでそんでも良いけど、そんな作品に投票するのかよ。
これは僕の感覚なのでそう考える必要はないが、この作品は少なく共、武島氏の代表作ではない。
48金、同銀生、59桂、同銀生は59銀が余詰防止で必要なので仕方なく入れた手順ではないか。もし 59銀が省けるなら後に改良図とかを発表するんじゃないかと思えてしまう。
名局ライブラリーの65香のようにである。
つまり、武島氏にとって特に優れた作品ではなく、これで看寿賞作家を名乗るのは心外だろう。
授賞してしまったのは仕方ない。僕は前述の4手は良い手法と思っているので、この作品は僕の作品と言う事にして、僕を看寿賞作家と呼ぶのが良いのである(笑)。

★ではどの作品に投票すべきか?
僕なら順位戦の作品である。
選考記事で馬屋原作の看寿賞作に言及されているがなるい事を書いている。
あれは馬屋原作の収束がダラダラなんで、短編作家ならこうする手順として創ったものである。
本人には確認していない推測でしかない事なのだが、確認する必要もないくらい分かり切った事である。
仮に分かっていても誌面には書き難いのはあるが。

☆選考委員の意見で「手順さえ良ければ形はどうでも良いと言うのはやはり違うのではと言う気がする」との意味を書いているが、この意見は完全に間違いだ。
詰将棋とは手順がどうあれ形などどうでも良いのだ。
必要なのは手順の必然性なのである。
手順に必然性があれば形はどうでも良い(推敲されているのが条件であるが)
手順の必然性とは作意成立以外に駒がない効率性が手順の必然性になる事もある。
僕と高坂氏の意見とは正反対ではなく目指しているものは近い。
僕は手順が大事と言いながら実は駒の効率性から来る形の良さに憧れ、高坂氏は形が大事と言いながら手順の良さを目指す創り方になっているのである。

順位戦の武島作は手順の無駄を省く手順の必然性がある作品である。
これネタは馬屋原作なのだが、武島氏は駒の無駄を省く事を手順の必然性としていて氏の作風とは真逆の作品になる。
このネタなら手順の無駄を省く事が手順の必然性と考えたのだと思う。
僕は手順の無駄を省くのを最優先したいので、この作品に投票しただろう。
でも、この作品が授賞なら武島氏は看寿賞を辞退した可能性はあるかも知れない。

★残るは将棋世界の作品になるが、本人が投票するならこれ一択である。
武島氏の作品はそもそも既成手筋の組合せでしかない。
それで究極の美しさを求めている。
部分的には新らしさがないので看寿賞には恵まれていないだけ。
それでいて作品は新味があり輝いている。
武島作は食べ物なら熟成品である。
看寿賞は生物と例えるのが良いだろう。
武島氏が看寿賞作家と呼ばれたくないのはこのためだろうか?
実際には違う気がするが、そう思いたいところである。

☆武島作受賞の話が長くなったが、ズサンなのは藤井聡太作も候補にならなくてはいけないと思った事である。

★特に酷いのは中編賞該当作なしである。
確かに今年はパンチのある作品はなかった。
それで該当作なしに投票するのはありである。
でも該当作なしに投票したのは一人。
選考委員に票が割れそうと言っている委員もいる。
だったらいくらメール交換の協議でも受賞作ありに持って行く事は出来たはずである。
選考委員はバカか!
バカなのは仕方ないから、最低でも2次投票のシステムは変えろよ。
それに今年の作品なら齊藤光寿作は最近の看寿賞作品よりずっと良い作品だよ。
選考委員もこれは面白いと言う人が複数いたのになんで該当作なしになるのか。
選考委員がバカとは言い過ぎだが、選考システムが来年もこのままなら選考委員は大バカである。

☆……あー、しまった。
風氏にメールで送ろうとした事をブログに書いていた(笑)。

この看寿賞選考方式はダメだ

看寿賞はどんな賞なのか。僕の認識は下らない作品が堂々と受賞する賞である。
勿論、素晴らしい作品が受賞する賞ではある。
詰将棋は本来人それぞれの考え方の違いで良いと感じる作品は違うものである。
毎年毎年自分の良いと思う作品が受賞していたらその方が逆におかしいと言える。
誰もが納得の選考はあり得ない。
しかし、看寿賞は一応最高の作品に与えられる賞なので下らない作品が受賞するようでは選考方式がダメと言わざるを得ない。
今の選考方式になってから下らない作品が受賞するようになったから、この選考方式ではダメと言いたいのかと言うとそうでもない。
この選考システム以前でも下らない作品の受賞はある。
むしろ今の選考方式は下らない作品が受賞しないシステムと思う。
協議して受賞作を決めるのは理想の選考方式なのである。
何がダメなのか?
出来てないからである。

☆現在、協議して決めるとなっているが、本当に協議しているのか?嘘だろう。
一堂に会して協議なんかしてないだろう。
精々メール交換程度のはずだ。
僕はメールでも協議する事は出来るとは思う。
しかし、今の選考結果や協議内容は全くやってないのと同じである。
根本的な協議が出来ないなら今の選考方式は根本的に変える必要がある。
僕は根本的にダメだとの意見であるが、細かい事で他のブログにも不満の意見はあるので、ちょっとは改革する必要があると考えろよなと言いたい。

★ダメシステム①第1投票と第2投票はいらない。
第1投票は読者投票で事足りる。一応選考委員も一読者なので漏れがあれば投票すれば良い。
第2投票は論外。協議して決めるだから不要。
票が割れた時に必要なだけなのに、これで決定になるのはバカシステムである。
これは初めから協議してない事が前提のシステムだ。
実際問題協議出来てないんだから、第2投票は必要ではあるけど。
改革するとなると各部門1作受賞にする。
それには第2投票に3票迄が良くない。
一人1位~3位迄3作投票にして1位=3点、2位=2点、3位=1点とする。
基本点数に達した作品を受賞として、基本点数に達した作品がないなら決戦投票で、該当作なしにはしない。
こうするだけで低俗受賞作は格段に減る。
今の第2投票のおバカシステムは来年から変えよう。
もし、来月もこのままなら僕の作品が選考されても受賞は辞退する。
これは選考されるような作品がないから言える事なのである(笑)。

☆現在、最もダメな点は第1選考がズサンな事である。
候補作を完全にピックアップ出来ているのか。
有力候補を絞る段階の作業はどうか。
これがちょっと酷い。ズサン過ぎる。
毎年そう。
これに関しては作品をよく見ている選考委員を数多く揃えるしかないのだが、無理だろう。
僕のような人間が10人いたらどうか。
もっと酷いかもしんないな。
出来る対策は看寿賞選考の記事を止めるのが良い。
内容のない協議など書く必要はない。
各選考委員の選考理由だけ書けば充分。
春霞賞はみたいに。春霞賞は誌面をもらえてないだけなんだろうけど。
中身のない協議内容を書くスペースは目一杯候補作の図面と手順を載せるようにする。
読者が読みたいのは下らない議論じゃない良い作品を見たいのだよ。
良いと思う作品は人それぞれ。
受賞作が一番良い作品のケースの方が実際には少ない。
読者は受賞作を見るより、受賞しなかった候補作の方が本当は見たいんだよ。

看寿賞作家になる事

★今年の看寿賞短編賞は武島氏と上谷氏である。
武島氏は看寿賞は初受賞であるが、今迄受賞していないのが不思議な作家である。

☆そこで早速武島氏にメールしてみた。
当然、お悔やみのメールである(笑)。
冗談のようだが、以前から看寿賞はいらないと言っていたので、素直にお悔やみを申し上げたかったのである。

★すると返事が来た。看寿賞はいらないのは本当だったようだ。
受賞の言葉でも、ありがたくないと思っているような文章から分かるけど、こんな事ならおめでとうとメールするんだったと後悔しているのである。

☆それから全国大会に行くか聞いてみた。
会合にさえ出ないのに全国大会に行くか聞くのはバカげているが、看寿賞授与式があるので聞くだけと思った訳である。
すると全国大会は出ないので、皆に全国大会に出るよう催促するメールはしないようにこのブログに書いて欲しいと言われたのである。
僕は今、余計な事を聞いたのを大変後悔しているところなのである(笑)。