チョーナンセンス作家のひとり言

詰将棋に関する事だけ書きます。

コンピューター将棋

★今年のコンピューター将棋選手権はGoogleが参戦して来て簡単に勝っちゃたのかな?
アルファゼロはどんなゲームでもルールを覚えさせるだけでコンピューターが自己対戦だけで勝手に強くなるみたいで、将棋もルールを覚えさせただけって事なのか?
するとGoogle詰将棋自動創作をする気になれば、簡単に出来ちゃうって事なのかな?
僕はコンピューターによる詰将棋自動創作は賛成なんだけど、Googleがやるのは大反対である。
まあ、100%あり得ないから心配しなくても良いけど。
100%あり得ないのはちゃんとした理由がある。
詰将棋はルールがハッキリしてないところがあるからである。だから絶対に大丈夫と断言出来るのである。

詰将棋は別にして、将棋でもGoogleが最強なのは分かったが、僕はGoogleの将棋ソフトは意味のない最強だと思うな。
Googleのプログラムが最も優秀だとしても、Googleのコンピューターのハードがあってこそで、一般のパソコンでそのプログラムで強くはなれないだろう。
そんなもん意味がない。

☆ところで今年のコンピューター選手権の決勝リーグにはポナンザもエルモもいない。
ポナンザは引退したの?
エルモはハグ連発で予選落ちみたいだけど釈然としないな。
Google=HefeweizenのようでYouTubeで見れる棋譜は見てみた。
Hefeweizenで分からないのは、アルファゼロは人間の棋譜は全く参考にせず自主学習のみとある。
Hefeweizenは矢倉はやるは(これはなり行きみたいだが)対三間飛車では居飛車穴熊をしていた。
今は人間もコンピューターも角換わりが多いみたいで、コンピューター対戦もその傾向があるのかな。
他に横歩取りとか相掛りとかもあるけど、Hefeweizenの序盤は人間の棋譜みたいなんだけど。
これって人間の今の序盤研究はコンピューターと同じくらい進んでいるって事になるんではと思うものがある。
それともHefeweizenは序盤は悪くならなければ良い程度で軽視しているのかな。
少なく共、僕の棋譜並べではHefeweizenが序盤型とは思えないのだが。
終盤もそんなに強くない気がするし、僕にはHefeweizenは全然強く感じないのだが。

★Hefeweizenは中盤がメチャ強いような気がする。
全盛期の大山名人みたいで、自陣に駒を打つのが好きだし受け棋風みたい。
形勢互角ならまず負けないから強いとしても、エルモなんか有利な時の決め手は尊敬出来るものがあるけど、Hefeweizenはどうなのかと思っているのだけど。
どっちにしても市販化されないソフトなんかの指し方は勉強出来ない。
でも来年はエルモ対Hefeweizen戦をみたいけど、Googleは勝負はついたと思えば出ないって事がある?

満点評価

詰パラ2018・6月号の結果稿は大学院の山路大輔作は何点出るか興味があった。
結果満点だったが、解答者が少ないと2・3人厳しい評価をされるとショボい点数になるので、少し心配であったが満点だったのは凄いと言うよりホッとした。
満点で当然の凄い作品と思っていたのである。
僕はこの作品は看寿賞の有力候補ではないと思う。看寿賞を受賞しなければおかしい作品だと思うのである。

☆僕は煙詰崇拝者であるが、この作品は煙詰の最高傑作かと言うとそうは感じないのである。
僕の好きな煙詰ベスト10には候補にすら入らないだろう。
僕の理想とする煙詰は、流れるような捌きの美しい作品である。
美しい部分もあるが、煙詰らしからぬところがある。
これは僕の理想とは違うと言うだけで、詰将棋としては凄いしよく創った、どうやって創ったのか不思議な作品である。

詰将棋作家が一度は創ってみたいもの

★昨日、柳原さんがTwitterで、名局ライブラリーの武島作の改良図のことだと思うが、この初手は一生に一度のレベルとかツイートしていた。
因みに僕のスマホTwitterがほとんど機能しなくなっているが、まれに通知機能から見れたりする。
しかし、画面を変えると二度とそのツイートは読めない。
つまり、過去のツイートは一切見れなくなっている。
なのでツイートに何と書いてあったは覚えでしかないのである。

詰将棋作家なら玉を押さえている拠点の駒を初手に捨てる作品を創ってみたいと思った事はあると思う。
短編作家なら一つは創ってみたいテーマである。
これ意外に創れない。素材が命みたいなとこがあるからである。
気の利いた作品になる素材は一生に一度くらいしかないだろう。
柳原さんのツイートを見てなるほどと思った。
確かに6月号名局ライブラリーの武島作改良図のような素材は一生に一度しか巡り会わないかも知れない。
だけど僕は持駒に出来るのにここに銀を置くことはあり得ない。
この位置では67銀と使いたくなる形だからである。
拠点を捨てる感覚にはなれないのである。

★前記事とこの記事は置駒にするメリットは実はない書きたかっただけなのだが、武島氏のコメントを読むと改良図とかにすると解答者の評価は下がる事は百も承知に思える。
武島氏は解答者の評価より作意や詰上りに必要のない駒を省く事が大事なのである。
僕は内容が良くなるなら飾り駒でも置く事を認めているので、使用駒の数を1枚減らす事に価値はない思っているが、ほとんど詰将棋作家は使用駒数は少ない方が価値があると考えると思う。
僕のようなタイプは少ないだろう。
で、この改良図は僕には改良とは全く思えないが、武島広秋作の完成図はこれになると言う事なんだろう。

☆解答者の評価は発表図が上だと思う。
今回、改良図を完成図とするなら発表図はどうなるか。
それは発表図は武島氏はこの図にはしないと言う事なんで、発表図は僕の作品だと言う事にするのが良いのである(笑)。

これは改良なのか?

詰パラ2018・6月号の名局ライブラリーは武島宏明作の高校半期賞作だが、この作品の改良図が作者から届いたとあるが、僕には改良には全く思えないのだが。

☆65香があるので冴えた初手になっているので、65香を省くと解答者の評価は下がるだろう。
でも武島氏は作意にも詰上りにも必要ないので省きたい。これは分かる。
これでこそ武島氏である。

★分からないのは「以前から初手は駒打ちではなく置駒移動にしたいと思っていた」である。
えーこの詰上りだと盤上にない駒が出現した方が良いじゃん。
詰将棋作家は人それぞれ感覚も違えば考え方も違うものである。
真逆の考え方でも理解する事は出来る。
この銀は動くとは言え最初から盤面にあっては僕は興醒めである。
65香を省くと玉の左に何にもない形が嫌ではあるが、そう思うなら僕なら初手を省く。
それくらい僕には初手置駒移動にはしたくないのである。
これは他の作家の考えも知りたいものである。

☆それからもう一つ改良とは思えない事に一段下げている事がある。
この詰上りは中央に近いほど良い。
この詰上りは一段下げたら作品の価値も一段下がると思う。

★最後にもう一つ。
配置が美しくない。
23銀・24角・25龍が3枚くっついている。
48歩・58とは同じなのに図が下がったため嫌な感じ。
19桂も嫌な位置。
僕の美的感覚は駒の位置関係が全てなんで、その感覚ではこの改良図と言っている図は美しくないと思うのである。

☆一つハッキリ言える事は武島氏が改良図とかの方を発表図の発表前に気が付かなくて良かったと言う事である。
発表図を感動した人が、改良図とかが発表では感動しない人が何人かいるはずである。
今なら、解答者は好きな方の図で鑑賞すれば良いのである。

翻弄物創作技術検定

★翻弄物創作技術検定問題を思いついたのである。

問題=詰パラ2018・6月号(結果稿)小学校12田中孝海作の53龍を後2回動かせ(勿論収束を伸ばすのではなく逆算で)。
玉位置は変更可(て言うか変更しないと無理?)。
龍移動は玉が1回動いてからでも可(て言うか動いてからでないと無理?)。

☆良い作品にする必要はないので、成立させる図が出来たらコメントを。
創作難易度は翻弄作家ならイージーかな。
普通なら中級レベルかと思う。

詰パラ2018・6月号(結果稿)小学校

詰パラ2018・6月号(結果稿)小学校】

★今日は連続投稿になっている。
気が向いた時には沢山書いて、気が向かないと間が空く事になるかもよ。

☆今月では小学校12田中孝海作が一番好きだな。
さて順位は?……最下位じゃんかヨー(笑)。
田中氏らしくない作品だが、小学校向きでない作品でもある。
良い作品だけど。

★小学校15海老原辰夫作。
竹中健一氏の短評で「……。心理的妙手と言えるか!?」とあるが、これ心理的妙手になる訳ないじゃん。
普通の妙手である。心理的に指し難いのではなく、妙手だから指し難いのである。
この手は良いが、場外でまとめている感があるので作品としてはどうかな。
解く楽しみは十分にあるから駄作ではないけど。

繰り返し趣向

★今月の詰パラ6月号の表紙は青木裕一作であるが、表紙の言葉は趣向作の繰り返し手順の回数についてである。

☆僕は機械的に繰り返す趣向はそんなに好きじゃない。
理由は2回繰り返すのは面白いと思うが、全く同じ理由で3回目・4回目には意味あるのかと思ってしまうからである。
どうせ同じ事を何故やるのか。
違う理由でなら回数は多ければ多いほど良いと思うのだが。
で、僕が作者ならどうか。
そんなもの最大回数にするに決まっているのである。

★青木氏は配置面の理由で回数をとどめるのもありの考え方を書いているが、これは僕の考えは真逆である。
繰り返し回数を増やすと極端に配置が悪くなるならむしろ増やすべきと思う。
極端に配置が悪くなるのは繰り返すための障害があるからである。
同じ原理で繰り返すにしても障害があるなら(同じ原理が出来ないならそれはノー文句で繰り返すべき)、その障害をどう乗り越えているか価値があるからである。
逆に配置に趣向以外に余分な駒を加えなくて良いなら、それは同じ原理で繰り返しているに過ぎない。
そうとは限らないとしても、同じ原理で繰り返しているなら作者の意思で2回で止めるのもありだと思う。

☆青木さんはどう言うケースで最大回数を止めるのかを言いたいのではなく、どんなケースであれ最大回数にしない創り方はあるんじゃないかと言いたいのだと思う。
僕もそれには全くの同感なのである。